四方田犬彦『愚行の賦』

雨。
九時間くらい眠る。睡眠が非常に荒んだ領域を掘って、起きても寝覚めが悪い感じ。ネットに関係していることはまずまちがいないところであろう。

このところ何か中島みゆきの歌が頭に浮かんでくる。「うらみ・ます」「キツネ狩りの歌」「船を出すのなら九月」「エレーン」ひさしぶりに聴いたな。「エレーン」がすごい傑作で涙なしには聴けない。Wikipedia の記述は本当なのだろうか。

生きていてもいいですか【リマスター(HQCD)】

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NML で音楽を聴く。■ハイドンのピアノ・ソナタ第五十三番 Hob.XVI:34、変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII:6 で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウスNML)。こんな録音があったのか。知らないことが多いな。

シューベルトの「冬の旅」 D911 で、テノールペーター・シュライアー、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテルNML)。午前中に全部聴けないことはわかっているので、半分聴いた。あとで「郵便馬車」から続き。ライブ録音で、聴衆の咳が結構入っているなと思いながら聴いていた。リヒテルは歌手の邪魔にならないよう明らかに一歩引いて演奏しているが、これを聴いているとシュライアー(これも一流の音楽家である)よりも芸術家としての力量が数段上で、そのことは紛れもないなと感じた。リヒテルは全体的に音量も控えめで、どちらかというと淡々と弾いている感じでもあるのだが、その弱音に無限のニュアンスがある。だから、控えめにしているリヒテルにばかり耳が惹かれてしまうような。比べると、シュライアーはどうしても「表現している」という感じがしてしまう。まあしかし、シューベルトの簡素なピアノパートをソナタのように聴いてしまうのは、聴き方としてちょっとおかしいのかも知れないが。
Schubert: Winterreise / Pno Sonata D840

Schubert: Winterreise / Pno Sonata D840

後半。よかれ悪しかれ、声楽パートは自分はフィッシャー=ディースカウのそれがメルクマールになってしまっているなと思った。あと、やっぱり外国語が得意でない問題。わたしがもっとドイツ語ができるとよかったのだろうけれど。

晴。
昼から米屋。餃子の王将。ドラッグストア。

手作業で車を洗う。きれいになりました。

BGM

夜。
図書館から借りてきた、四方田犬彦『愚行の賦』読了。この人はよほど自分が賢いと思っておられるのだな。まあ御尤もというべきであるが、呆れる。まったく途轍もないペダントリーで、随分とおもしろい本ではあるが。それにしても愚行愚行とうるさいことで、何とまあ自意識の強いことか。そこは正直うんざりしないでもない。

愚行の賦

愚行の賦

それにしても、やっぱり自分はニーチェが好きになれないし、ニーチェを好むという類の日本人も何とかだな。ニーチェはそもそも本を読んでは部屋でひとり妄想に耽ってばかりいる、まさにわたしのような幼稚な人間であった。まあそれは措いても、ニーチェのやったのは西洋の根底にあるギリシア哲学とキリスト教をそのもっとも深いところで爆破することで、それゆえに西洋人には巨大なインパクトを与えたのであり、古代ギリシアキリスト教も関係ないところの日本人にそんな体験のできる筈がない。ま、将来日本人が完全に西洋化してしまえば、わからないが。本書からは少しズレる話ですけれども。