鈴木大拙『禅百題』

曇。

肉屋。スーパー。

細かな粒子たちの微細な振動。旋回。
昼寝。昔のエンタメを思わせる奇妙な夢。

冬眠。


図書館から借りてきた、鈴木大拙『禅百題』読了。我々はお勉強のしすぎで、しかもそれをなかなか解体し切れない。だからわたしなどは、つくづく苦しむことになる。自縄自縛とはこのことだ。しかし、大拙という人はほんとに偉かったな。本書を読んでいると、わたしのような者でも大拙の心の常に生き生きと動いているのに感じて、思わず笑ってしまう。安永祖堂老師が「禅は笑いの宗教だ」と仰ったのはこれだと、まことに思われることである。
 「大拙の『禅』は仏教でない」という主張はめずらしいものではないが、仏教とやらも硬直化したものである。そして硬直化した仏教が、果たして仏教と呼べるものであろうか? 大乗仏教は既成の「仏教」の形骸化に対する批判運動であったが、現在また新たな批判運動が必要なのかも知れない。日本においても、悪しき仏教原理主義が蔓延っているところである。いやいや、こんな語り方ではダメなんだけれどね。
 大拙をつらつら思うに、ひとりの人間の生涯で、ここまでのことが可能であったのかと、胸があつくなるような感じがする。いや、もちろん大拙ひとりの力というのは当たらないわけだが、それでもわたしのいうことはわかってもらえないかな。わたしのごとき、懦夫をもって起たしめるところがある。そこは、吉本さんや、中沢さんと同じだ。ちっぽけで無力なわたしは、こういう人たちがいなければ、とうに諦めていたところであろう。