ジョージ・オーウェル『ウィガン波止場への道』

日曜日。晴れたり曇ったり。

スーパー。

ごろごろ。このところ本も読まず、ごろごろしすぎて頭がふやけてきた。


図書館から借りてきた、ジョージ・オーウェル『ウィガン波止場への道』読了。いま頭がふやけていて適切な言葉が浮かんでこないが、とにかく感銘を受けた。第一部の炭鉱労働者などのルポルタージュも、第二部の社会主義に関する考察も、いまでも読むに値するとわたしは思った。オーウェルの提示する事実や考察自体もだが、彼の「考える仕方」が特にすばらしい。大づかみに事実を捉え、大切なところを決して外さない、ごまかさない。自分を棚に上げず、自分の偏見と特性を徹底して抉り出す。結局、大したものをもたない人間でも、自分をごまかさないことは原理的に可能なのだ、とそういう極めてむずかしいことを、実際にオーウェルはやってみせている。自分を掘っていくうち、オーウェルは普遍的な場所へ出るのであり、それで得た先見の明は驚くほどだ。もちろんオーウェルだって無謬ではなく、いまの眼で見ると細部ではまちがっているところもあるが、大まかなところでは外していない。後の『一九八四年』などに見られる文明観は、既にこの時点で登場しているように思える。
 繰り返すが、わたしはやはり、オーウェルの「考える仕方」がいまでもまったく古びていないと思う。オーウェルなら現代をどう考えるか、自分自身をごまかさないというのは、我々も実践が可能であり、かつ必須である筈だ。どうも、我々は自分をあまりにも棚に上げて立派な(立派すぎる)ことを語っているように見えて仕方がない。自戒すべきである。

 
盤珪禅師語録』を読み始める。

早寝。