シュ・シャオメイ『永遠のピアノ』

午前四時頃、目が覚める。昨晩は中沢さんを読んで寝た。まだまだ自分はたんにお上品でつまらない人間だということを痛感する。小さく纏まってはいけないのだけれど、なかなかにむずかしい。それに、このところつらつら考えては立ち戻っていく、どうしようもない gift の貧しさ。風土(人間たち)の貧しさもあるだろう。下部構造の貧しさ。この程度で、いったい何ができるというのかというのは、問うても仕方がないが問うてしまう。そんなことを考えながら、二時間ほど寝床でごろごろしていた。六時くらいではまだ暗い。

晴。

ごろごろ。

昼食はシメジとツナの炊き込みご飯。秋っぽかったし、おいしかった。

好天。
関市のマーゴへ行ってみる。江南関線経由だったのだが、そこに出るまでカーナビどおりに運転したらとんでもない道を走らされた(笑)。ふつうに行けばよかったな。でもまあ、ウチからは30分かからなかった。
 というわけで、いつものごとくミスタードーナツ 関マーゴショップ。メープルエンゼルフレンチブレンドコーヒー429円。ここはチープなまったく落ち着かないフードコートで、なんだか低周波のノイズが聞こえてくるし、BGM はじつに下らない音楽だし、あんまりまた来たいと思わないところ。でも、僕は本はだいたいどこでも読める。
 シュ・シャオメイ『永遠のピアノ』読了。古書で買ったもの。シャオメイは文化大革命で辛酸を嘗め、毛沢東が死んでようやくアメリカに渡り、大変な苦労をしながらバッハの「ゴルトベルク変奏曲」に出会う。彼女の前へ進もうとする力だけでなく、結局この曲との出会いが、彼女の道を切り開くことになる。さらにシャオメイはフランスに渡り、40歳でのデビュー! 小さなレーベルから「ゴルトベルク変奏曲」の CD も出す(わたしは NML でこの録音を聴いている)。華々しい活躍というほどではないが、シャオメイはゆっくりとだが確実に知られていくのだ。いまでは、シュ・シャオメイの録音は NML でもかなり聴ける。本書の中身はわたしの要約の力を超えているが、シャオメイのピアノ同様、実直で深さがあるのはまちがいなく、心打たれる。後年、中国へ帰り、かつて愛用した、ボロボロになったアップライトピアノと再会するところなどは、思わず胸に来た。シュ・シャオメイは、癌も乗り越え、いまでも活躍している。わたしはたぶん、NML に入っている彼女の全録音を聴くことになるだろう。

シャオメイは40歳でのデビュー以前、コンサートの予定ももちろん録音の話もなかったのに、毎日何時間も「練習」を続けた。それは技術的な理由だけでなく、彼女の(いってみれば)「魂の渇望」のようなものだった。バッハを弾き続けたのである。彼女の人生に意味を与えたのは、「老子」とバッハだったわけだ。これにも打たれるものがある。

帰りに図書館に寄る。


夜、マッカラーズ『心は孤独な狩人』を読み始める。