S.K.ランガー『シンボルの哲学』 / 平等=自分は他者と交換可能

午前四時頃、目覚める。そのまま、明るくなるまでごろごろしていた。
曇。

S.K.ランガー『シンボルの哲学』読了。

 
スーパー。

晴。
昼から県図書館。
帰りに、ミスタードーナツ バロー市橋ショップに寄る。メープルエンゼルフレンチブレンドコーヒー。宇野重規先生の『トクヴィル』を読み始める。この本も、著者の頭のよさを示すきわめて明快なもの。わたしはトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』は目を通しているのだが、何も覚えていない。本書を第二章まで読んだが、じつにおもしろい。ちょっとメモしておきたいのが、トクヴィルの平等観である。『アメリカのデモクラシー』は、「合衆国に滞在中、注意を惹かれた新奇な事物の中でも、諸条件の平等ほど私の目を驚かせたものはなかった」という文章で始まるという。トクヴィルフランス革命を経た貴族の出であるが、人々の「平等化」は歴史において避けられないという考えをもっている。しかし、われわれが平等であるということは、つまりは「自分は他者と交換可能である」(という言い方が本書でなされているわけではないが)という実感に我々を追い込まざるを得ない。トクヴィルは既にこのことに気づいていた。これはつまり現在におけるアイデンティティの獲得困難さ、自分に対して尊厳をもつことのむずかしさ(=「自分はつまらない人間である」)に他ならず、特に多くの若い人たちがこれに苦しめられている。何を以て「自分らしい」のか、何によって「他からの承認」を得たらよいのか。引いては、どうしたら「自分を好きになれる」のか、など。「平等」は、このような問いを我々に突き付ける。そして例えば、アイデンティティの獲得困難さは「多数に拠ること」や、国家への帰属意識によって代補的に埋められるかも知れない。ツイッターリツイート数やフェイスブックの「いいね!」数やブクマ数が自己への承認をもたらすかも知れない。と、そんなことが頭に浮かんだが、的外れであろうか?

トクヴィルがいう「個人主義」の結果、諸個人は一方において、他者から切り離され、自らのうちに閉じこもろうとする傾向をもつ。他方、そのような個人は、特定の個人による個別的な支配を嫌う一方で、「単一にして単純な、万人にとって等しい社会の力という観念とそれへの好み」を持つようになる。すなわち、自分が、他のすべての個人と同等な存在であることにこだわる「デモクラシー」社会の個人は、自分と同じようなある特定の個人が自分に対して支配的権力を行使することにはきわめて敏感に反応し、これを拒絶しようとする。しかしながら、反面で、そのような特定の人間による個別的な支配と切り離された、非人格化した集団的権力による支配に対してはむしろ、容易にこれに隷従するというのが、トクヴィルの下した<民主的人間>への診断であった。さらにいえば、自分の身の周りの他者との結びつきを欠いた個人は、むしろそのように非人格化した権力の媒介に頼ってしか、他者へ働きかけることができなくなる。(p.90)

個人的なことを書けば、わたしもまた自分のアイデンティティというものがわからない。ただ、わたしにとっては世界はわたしの目(あるいは感覚)のみを以て認識し、その中で生きていくしかない(世界=自分というモナド)ということで、その意味でのみ自己の「かけがえのなさ」を実感している。そのことと「自分はつまらない人間である」というのは、矛盾しつつも両立させざるを得ないことを確信して生きているといってもいいかも知れない。限りない被承認欲求で、自己を巨大にふくらませていくのはわたしの好むところではない。生きる上で「他から認められること」は必要であるが、できれば最低限のもので済ませたい。それが願いなのだが。

夕飯は鮭のちゃんちゃん焼き。うまかった。

iPad mini がお亡くなりになったっぽい。このところアプリがよくフリーズすると思っていたら。購入したのは2014年10月かあ。六年間使ったわけね。まあ、よく利用したというべきだろうな。いまでも頻繁に使っているので(主に寝転がってのウェブ閲覧用だが)、早く後釜を探さないと。
 
最低。
たまたまちょうど iPad がお亡くなりになったところだったので、

このメッセージは、お使いのApple IDことを通知することです (わたしのID) セキュリティ上の理由でロックされています。

というメールに反応してしまって、フィッシングサイトにクレジットカード情報を渡してしまった。でも、どうもおかしいと思ってぐぐったら、フィッシングサイトでした。
 なので直ちにクレジットカード会社に連絡して、カードの即時無効化と再発行の手続きをしてもらった。まだ、クレカ情報は悪用されていなかったみたいで幸いだったが、まったく軽率で愚かしかったな。偶然もあってつい信用してしまったが、先にぐぐるべきだった。なお、サイトは非常に巧妙に作られていました。