母入院

午前三時くらいに目覚めて少し鈴木大拙を読むも、また朝まで眠る。

晴。
NML で音楽を聴く。■プロコフィエフのピアノ・ソナタ第七番 op.83 で、ピアノはマウリツィオ・ポリーニNML)。これまで何度聴いたかわからない録音であるが、「サブカル以降」として聴き直してみると随分印象がちがった。サブカルは「物語」と「効果」であるといえるところがあると思うが、例えばプロコフィエフポリーニのバリバリのモダンのどの領域を、サブカルがどう「効果」として使っているか。とにかく、モダンの開発したものをサブカルは「効果」として取り入れ、「物語」としてリニアに再配置して、非常に強烈な麻薬的吸引力を獲得している。

Stravinsky, Prokofiev, Webern, etc / Maurizio Pollini

Stravinsky, Prokofiev, Webern, etc / Maurizio Pollini

  • 発売日: 1996/02/13
  • メディア: CD

予定どおり、母入院。コロナ禍で、面会は原則禁止と、やはり大変にきびしい。地域の拠点病院だから、院内感染は絶対に避けたいということだろうな。総合受付とエレベーターの前と二箇所に関門があって出入りが制限されている。

帰りに肉屋。スーパー。
昼食はスーパーで購入した寿司。

曇。
ごろごろする。

夕食は冷しゃぶ、ナスの味噌田楽を作る。
食事を気にして老母が電話してくる。老父が「ウマイよ」といって笑い合う。

小沢書店の刊行した、高橋英夫『濃密な夜』(1991年)を読み始める。高橋英夫さんは、まだ昨年亡くなられたばかりだったのか。わたしはこれまでに高橋さんの何を読んだものだったか、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』の訳業は印象に残っているが、本業の批評家としての仕事は、あまり読んでいないような気がする。ただ、端正な文章をもち、小林秀雄林達夫の双方からインパクトを受けた批評家として、何かしらのリスペクトを抱いてきたのは確かだ。最近「なつかしい文学の味」という文章を書かれた方がおられるが、わたしはその方とはまったくちがう意味で、本書の冒頭100ページくらいを読んでみて、「なつかしい文学の香り」を感じずにはいなかった。本書は著者の音楽論をまとめたものであるが、冒頭のモーツァルト論たちには、小林秀雄、その『モオツァルト』が頻出する。いまでは著者の文章のあり方は完全に時代遅れになってしまっていて、かなしいというか何というか、わたしは本来ならこのような文章だけを読んでいたかった人間である。深い学識(「教養」と敢て言ってもよい)と繊細な読解、中庸を体現した見事な文章、そして、人間に対するおおらかな肯定性と modesty、いまは失われてしまったものばかりだ。怠惰な市の図書館がこのような書物を開架に残しておいてくれたせいで、本書と出会うことができた。さても、わたしの世代以降、著者を読む人がどれくらい存在するものなのだろうか、とはどうでもよいことであるが。