こともなし

日曜日。昧爽起床。
昨晩は玄侑さんのエッセイ集を読んで寝た。寝覚めがキツい感じ。

晴。
NML で音楽を聴く。■バッハのトッカータ ホ短調 BWV914、嬰ヘ短調 BWV910 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。

起きて窓を開け放ったら、なつかしい夏の朝の匂いがした。子供の頃ラジオ体操に行くときの匂い。このところ朝から暑すぎて、とてもそんな風ではなかった。やっぱり、かつての夏はいまほど暑くなかったのではないかと思う。そういえば、子供たちの夏休みの朝のラジオ体操も、いまはやっていないようであるな。


ウェンディ・ブラウンの『いかにして民主主義は失われていくのか』を読み始める。まずは第二章まで読了。わたしには面倒くさくてむずかしい本であるが、おもしろい。どうも、新自由主義ネオリベラリズム)が民主主義を破壊するということに関する本のようである。こういう本を読んでいると自分の無知に呆れるが、新自由主義をつまりは「人間を全面的にホモ・エコノミクスにする」イデオロギーであると見做すというのは、人文学で一般的なのであろうか。わたしはこういう定義(?)をよく知らないのであるが、かかる意味での「新自由主義」がいま我々の無意識になっているのは疑いないことだとわたしにはわかる。国家が、全面的に経済に奉仕させられるようになったというのも、(いまの日本でも)まったく、完全にそのとおりではないか! そして、著者がかかる「新自由主義」にめっちゃむかついているのもわたしにはわかるが、しかしねえ、資本主義というものが存在する以上、かかる意味での「新自由主義」の猖獗、無意識化を止めることは、ふつうの仕方ではムリですよ。だから、我々は行き詰まっているというのである。しかし、まだ第二章というところでこう言うのは早いか。
 本書はフーコーの「コレージュ・ド・フランス講義」を深く読解し、それを批判していこうという展開になるようだが、フーコー新自由主義についてそれほど深い考察をしていたとは、わたしは全然知らなかった。『生政治の誕生』は読んだのだったか、それすらも覚えていないなあ。
 それにしても、著者がマジメで誠実な人であるのは文章から読み取れるところだが、エリート意識も紛れもないですね。結局そのあたりが、マジメで頭のいい人が「ふつうの人」から離れてしまうところなのだろうと思う。まあ、それがいけないと言ったら多くのものを捨てないといけないから、なかなかむずかしいところなのだが。

わたしがぼんやり思うのは、資本主義というものは論理、合理性と非常に深い関係があるというか、相性がいいということである。資本主義について考えていくと、話がどんどんむずかしくなっていく。それは偶然ではない。そして、資本主義の底には「矛盾」がセットされているので、それはきわめて柔軟なのだという気がする。無敵、破壊不能な資本主義。知らんけど。

換気扇等の掃除をする。

昼寝。
今日の気温は33℃くらいで、比較的涼しい。


昼から、珈琲工房ひぐち北一色店。藤原彰『餓死(うえじに)した英霊たち』の続き。前にも書いたとおり、本書を読んでいると悲しみとも怒りともつかない感情に襲われるのだが、それは措く。しかし、本書の指摘・告発する事実はいったいどういうことなのか。なぜ昭和の戦争のとき、上に立つ者のこれほどの不合理性と非人間性と無責任さが蔓延していたのか。はっきり言って、めちゃくちゃではないか。いまの日本、我々にもまた若い人たちにもこういうところはあるだろうが、さすがにここまでのことはない、歴史に学んだところもあるのではないかと、思いたいところである。しかし、本書の事実は、現在のどの世代でも、あまり知らないことが多いのではないか。わたしは昭和の戦争について特別よく知っているわけではないが、少しは「お勉強」してきたところもあると思っているけれど、それでもあまりにも知らぬことが多くて、本当にびっくりしている。例えば大岡昇平の有名な小説『野火』には戦場での人肉食の話が出てくるが、じつは恥ずかしいことにあまり深く考えたことがなくて、本書を読んでハッとさせられた。まあ『野火』を読んだのはあまりにも昔で、あんまり覚えていないけれども(ちょっと読み返してみたい気がする)。大岡はもちろん大著『レイテ戦記』の著者でもあるが、本書にも大岡の発言が少しだけ引かれていて、印象に残った。大岡に限らず、優れた文学によって昭和の戦争を知るというのは、(戦史とかを読むよりも)悪くない行き方だろうと思っている。戦後の文学には、多かれ少なかれ、様々な仕方で戦争が反映している。そして本書はそれらを大きく補完するものになっているだろう。と、とりあえずの感想文である。続けて読む。

餓死した英霊たち (ちくま学芸文庫)

餓死した英霊たち (ちくま学芸文庫)

  • 作者:彰, 藤原
  • 発売日: 2018/07/06
  • メディア: 文庫
野火(のび) (新潮文庫)

野火(のび) (新潮文庫)

なお、昭和の軍人の回想録・戦記の類は、上に立った者のそれはにわかに信用できない(らしい)というのがある。本書が繰り返し指摘し、また大岡も怒っているとおり、あまりにも自己正当化のためのウソが多いらしいからだ。わたしはそのへんのところを研究したわけではないので断言はできないが、わたしが信用できると考えている人たちはそう指摘し続けてきた。大岡が『レイテ戦記』を書いたのも、かかるウソ塗れの「戦記」に対する怒りのためであるという側面があったようだ。付け加えておけば、本書の藤原彰氏は若くして中国戦線で中隊長として実際に戦場で戦い続けた、いわば中間に立った人であり、戦後に歴史家となったという経歴の持ち主である。わたしは著者の『中国戦線従軍記』を先に読んでいる(感想文)。


夜、雷鳴とともに強い雨