「世界という書物」を直接読む / 斎藤環『ひきこもりから見た未来』

晴。

NML で音楽を聴く。■フォーレピアノ五重奏曲第一番 op.89 で、ピアノはジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタン、ORTF四重奏団(NML)。

エルガーの「海の絵」 op.37 で、メゾ・ソプラノはエリーナ・ガランチャ、指揮はダニエル・バレンボイムベルリン国立歌劇場管弦楽団NML)。

エルガー:海の絵、ファルスタッフ

エルガー:海の絵、ファルスタッフ

 
世界が変わってきていること、その世界で生きることに若い人たちは対応していて、そのためのスキルの習得も整理されてきているのだけれど、そこには世界を変えるためのそれはあまり含まれていないようだ。世界とその変化に対応するだけなので、すごく息苦しい。そして世界そのものは徹底的に人工化し、誤配がなくなってきている。記号どうしの新しい差異がなくなってきていることは、既にポストモダン哲学で探求されてきたとおりだ。記号そのものは、有限である。しかし、世界は本来無限だ。
自分を扱うための根源的なスキルに出会う場がない。その一連の(古来開発されてきた)スキルセット(これは中途半端なものではダメで、総体を覆わなくてはならない)をもっている人自体がいまほとんどいない。
「世界という書物」を直接読むこと。これは、かしこい人には却ってできないことなのだ。

しかしこういうことは、この何十年、様々な仕方でいわれてきているのだよね。でも、全体の傾向はむしろ強まっていく。つまりは、世界への無限の侵入を拒絶する、強固な何かがあるということだろう。それはシステムに分かちがたく組み込まれているというわけだ。

概念の網の目で世界を覆っていこうという意志。それを世界と同一視するという誤り。

自分を扱うスキルセットは確かに「危険」なものだ。ゆえに排除される。しかし、「危険」をすべて排除した人生なんてものが可能なのか。けれども、そういう社会が作られようとしているのはまちがいない。いや、個人にとって「危険」というよりは、むしろ社会にとってなのだ。やはり、「世界への無限の侵入を拒絶する、強固な何かがある」。

粗い粒度。粒度の粗さ。

というか、習得の過程が危険なんだよね。「師」というやつがまずダメだし。「師」がいない。

「世界という書物」を直接読むことは、つまり自分というモナドを直接「読む」ことだ。モナドには「窓がな」く(つまり、世界=自分だ)、しかしすべてのモナドはお互いを無限に映し合っているというのはよいだろう。そのモナドを直接「読む」のだ。

このところプールもないし暑すぎて散歩もできなくてかなわないので、なんか料理とかの家事をやっている。ごろごろばっかりしていてもしかたがないので。暇人。

このところ楽しみに読んでいるブログ日記があるのだが、これにこうあった。「これから先、自分の人生にどれだけ楽しいことがあったとしても、最後に苦しみながら死んでいくのだと思うと、やるせない気持ちになる。」わたしはこれを読んで微笑した。生きることは基本的に苦痛なものだが、この人には幸福にもそうではないのだと。確かに死んでいくときは苦しいかも知れない。でも、生きていることも基本的には苦しい。そんなことは特にいうまでもないことである。でも、ささやかな楽しみだってあることはあるし。


アニメを観るにしても、NetflixTSUTAYA とどっちがマシか問題というのが自分の中であって。僕は別にサブスクリプション嫌いというほどではなし、実際に Naxos Music Library を利用しているくらいなのだけれど、ちょっと Netflix はなあという気が。あれだと、自分の支払ったお金がどこへ流れていっちゃうのだろうというのもあるし、まあ TSUTAYA だって田舎のナニを荒廃させた全国資本ではあろうが、実店舗だしなあ、バイトのねーちゃんたちのバイト代くらいは地元に金が流れるだろうし、あらゆる実店舗がなくなって TSUTAYA までなくなって、全部ネットになったらどうなるのかしら、とか。
 ちなみに Naxos Music Library はゆたさんに勧められたのだけれど(ありがとうございます!)、You Tube で無料で音楽を聴いてばかりいるのにさすがに気がとがめていたところで、ちょうどよかったというのがある。しかし、NML ヘビーユーザーとしては、これでも安すぎるというか、タダみたいなものという気がしないでもない。ネットが発展してマジ金を使わなくなって、いまやコロナで、ほんとこれじゃ経済が廻らないでしょという感じ。応援したい人に実際にお金を流したい(?)という時代になってほしいですな。しかし、note ってウェブサービス(の有料版)はどうなんだろ。あっという間に大きくなったけれど、わたしはちょっと抵抗がありますね。本が死にかかっているからだろうけれど、それを加速させそうだなあ。偏見かしら。うまく共存するかなあ。本には編集者というものがいて、それは note にはないよね。


誰かがやらなくてはならない、嫌で安い仕事をどうするか問題。ひどい話だ。これこそが「格差」だという気がする。「きつい」「危険」とかいうのはここでは別の話で、これが安いとすればそもそもおかしいと思う。「誰でもできる仕事」か。「仕事」をする「能力」。
田舎は都会に比べればまだ「ゆるい」と思う。ギチギチに考えちゃダメだ。そもそも田舎だとあんまりやることがないんですけれど。皆んなあんまりやる気もないし。ヒマなんで、うわさ話をしたりよそ者を排除したりしている(笑)。


珈琲工房ひぐち北一色店。斎藤環『ひきこもりから見た未来』読了。

ひきこもりから見た未来

ひきこもりから見た未来

  • 作者:斎藤 環
  • 発売日: 2010/06/29
  • メディア: 単行本
 
どうもしゃべりすぎですな。イヤになってきた。


ソードアート・オンライン」最終話まで観る。
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