中谷功治『ビザンツ帝国』

日曜日。曇。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのセレナード op.41 で、フルートはルイザ・セッロ、ピアノはブルーノ・カニーノ(NML)。

Serenade for Ludwig

Serenade for Ludwig

 
スーパー。暑いのよりも、湿気がきつい。
昨日東海地方で梅雨明けしたが、さても長くて雨の多い梅雨だったな。


夕方、珈琲工房ひぐち北一色店。結構客が来ていた。コロナ禍でこれからどれほど行けるかわからないが、応援の意味もあってコーヒーチケットを購入する。
中谷功治『ビザンツ帝国』を読む。残り一章まで読んだ。学校ではビザンツ帝国の滅亡は十五世紀だと習うが、第四回十字軍による侵略で十三世紀に実質的に滅亡しているのだな。帝国最後の光芒だったコムネノス朝のアレクシオス一世の一代記である『アレクシアス』(皇帝の長女アンナの筆による)は読んでみたいものである。日本語でも読めるが、大変に高価な訳本だ(参照)。まさに図書館で読むべき本であるが、いまのところ近くの図書館には入っていないようである。それはよいが、さて、本書のような歴史書を読んでいると、権力の歴史はある程度わかっても、例えばビザンツ帝国下の民衆がどういう人たちで、どういう生活を送ってきたのかということは、わからないものなのだろうなと思う。「庶民の歴史」というのが唱えられるようになったのは二十世紀の学問的潮流であるが、それは日本のように資料が大変に多いところでも、なかなかにむずかしいことだ。ましてや例えば衰退期のビザンツ帝国の辺境部にいた人たちが、どんな生活を送っていたのか、どんな人生を生きていたのか、不思議な感じが脳裏を掠めないでもない。ロマン的な、いい気な妄想のたぐいであるが。いずれにせよ、帝国の興亡にかかわらず、庶民はみずからの生を生きるしかない。

中谷功治『ビザンツ帝国』読了。ビザンツ帝国の歴史というと、いまではむしろ文学に入るギボンの『ローマ帝国衰亡史』が思い出されるところであるが、もちろんいまではギボンには何の学術的価値もないだろう。本書でもギボンの名は、学問とは関係のないところでただ一度出てきたのみであろうと思う。しかし、このコンパクトによくまとまった(というのは素人判断であるが)新書版歴史書を読んでみると、やはり先にギボンを読んでおくとよかったなという思いがある。わたしはこれまで何度か、ちくま学芸文庫に十冊本で入っているギボンに挑戦しているが、いつも冒頭のあたりで立ち消えてしまっている。また、再挑戦してみるか。
 あと、十一世紀にイタリアでビザンツ帝国と戦った、ロベール・ギスカールWikipedia にはロベルト・イル・グイスカルドとある)というノルマン人のことがちょっと記憶に残った。わたしはこの人物をまったく知らなかった。日本語版 Wikipedia にもそれほどの記述はない。それから、プラトン哲学にも通じて「プレトン」と称した、帝国滅亡期の碩学ゲオルギオス・ゲミストス。ルネサンス期のフィレンツェのコジモ・デ・メディチが「アカデミカ・プラトニカ」を設立したのは、ゲオルギオス・ゲミストスの学識に触発されてのことだといわれる。

 
早寝。