コンテンツを作る人間は奴隷である / 黒川創『鶴見俊輔伝』

昧爽起床。曇。
昨晩は過去120日分くらいのこの日記を読んでから寝た。なかなか悪くないじゃん(笑)と思った。まちがいなく、わたしがわたしの日記をいちばんおもしろく読むのである。誰も読まないわたしの日記だ、わたしが読んでやらないとかわいそうではないか。
見た夢は、すばらしくエンタメ的なそれだった。じつに、「角度においてガンダムを描く」ことに関する、各国の学者たちの登場する国家的陰謀(?)の一大スペクタクル(?!)である(笑)。抽象的な線に関して、理論的でもあった。わけがわからないが、ひどく意外に場面が二転三転展開していって、見ていて快哉を叫びたくなるくらいおもしろかった。原液的に濃縮され、じつに分裂症的に独創的だったな。

確かに差異がなければ資本主義は廻っていくことができない。他人とちがわなければ、お金儲けをすることはできない。でも、わたしたちの生は資本主義を駆動させていく差異を作り出すために存在するのではない筈だ。わたしたちは、世界から無限を受け取るために生きている筈である。
あるいは、限定してこういってもいいかも知れない。コンテンツを作る人間は奴隷である。コンテンツを享受するものこそ自由である。残念ながら、多くはそれが真実になっている。コンテンツ制作者に対するリスペクトがない? 確かにそうである。しかし、わたしたちは才能ある奴隷をリスペクトすべきであるが、真実は曲げられない。敢て過激にいえばであるが。
極論をいえば、すべてのコンテンツはなくなってもいい(あったっていいが)。コンテンツへの愛は、執着でもある。いずれは、すべては消滅するのだ。
コンテンツだけで出来上がっている人間という恐怖。彼らが世界そのものを貧しくする。コンテンツに汚染された世界。コンテンツがなくとも、世界は存在する。

ま、矛盾ということになるだろうな、どうしても。

けれども、敢て資本主義的コンテンツに汚染されていくこともまた、救済のためには必要である。そういや、不惜身命という言葉もあったっけ。🐈🐇

昨日から何かボケまくっている。今朝はあんまりぼーっとしてやることを忘れていて、老母がムカついていた(笑)。未熟者だなあ、わたしは。

プランターミニトマトを、自分の部屋に持ち込んで食っている。採れすぎですから、自分で消費するのです。甘くてうまいよ。
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「本屋さんしか行きたいとこがない」とはすばらしい話である。わたしはというと、本屋さんがないとすごく困るが、昔ほど行きたいところでなくなった気がする。むしろ最近は行くとうんざりすることも少なくないが、そんなことをいうと、頑張っておられる全国の書店員さんたちに申し訳なくないのかと叱られれば、返す言葉がない。でも、本はもうあまり買わない。まさに精神の硬直化である。いかんことである。

晴。
珈琲工房ひぐち北一色店。黒川創鶴見俊輔伝』を読み始める。なかなかおもしろい。骨太な伝記の予感。


図書館から借りてきた、黒川創鶴見俊輔伝』読了。500ページ近い本だが、小説を読むように一気に読み切った。なかなかおもしろかった。著者は鶴見に近い人である。わたしは鶴見俊輔はそれほど読んだことがなく、四五冊というところだろうが、一貫して非常に頭がよい人という印象があった。本書を読んで、自分の印象はたぶんそれほどまちがっていなかったものと考えている。というか、自分の印象を遥かに上回っていた。祖父は後藤新平、父は鶴見祐輔、姉は鶴見和子であり、メンターは都留重人、ハーバードでカルナップの講義を聴き、特に個人的なチューターはクワインであって一緒にパース全集(記号論!)とカントを読んだというのには、呆れてものも言えない感じである。また、鶴見俊輔というと何か在野の人のようなイメージがあったのだが、桑原武夫に引っ張られて若いときから京都大学に勤めていたなど、その後も含め学者の人であった。だから、たぶんわたしなどは、仮に鶴見と同時代に生きていれば、民衆として鶴見の研究対象になった類であろう。それくらいのエリートでアカデミックな人なのに、父親との複雑な関係や、海軍での凄惨な体験から、心にドロドロした深い深い闇あるいは傷を抱えていた(生涯で何度も鬱病を発症している)というのは本書でじつによくわかった。…それにしてもである、わたしは自然に吉本さんとの比較を思った。本書でも吉本さんとのやや皮相な対比が少しあるが、わたしがしたいのはそういうことではない。また、わたしは鶴見俊輔と吉本さんの実際の関係はまったく知らないし、吉本さんに鶴見へのどんな言及があったとも覚えていない。そもそも吉本さんは船大工の息子であり軍国少年であったが、そういう表面的なちがいよりも、そもそも吉本さんには鶴見俊輔のような意味での、自分で覗き込みたくない「心の闇」というものがまったくなかった。吉本さんは方法論的にもまったく学者的ではなく、自分の心でがばりと引き受けたものを、もはや既存の概念が消えて無くなってしまうような深部まで、徹底的に(自分の心を)掘って掘って掘り抜いた人である。対して、鶴見俊輔の方法論は、生涯アカデミックなものであった。同じ「転向」、あるいは「大衆的なもの」を扱っても、だからアプローチがまったくちがうのである。そこがおもしろかった。(あくまでも)スローガン的にいえば、吉本さんは詩人、鶴見俊輔アメリカ由来の優秀な学者であり、また吉本さんはふつうの平凡人で、鶴見俊輔は気取らない、気さくなエリートであった。
 わたしが本書から知りたかったのは、鶴見俊輔の魅力である。確かに写真を見ると、なかなかよい笑顔の人であった。晩年の顔も、少年のような好奇心をもったおじいさん、というような顔である。ただ、本書から、わたしは鶴見俊輔の魅力というのは最終的にいまひとつわかった気がしなかった。それは、これから鶴見俊輔を自分で読んで、実感すればいいのかも知れない。

鶴見俊輔伝

鶴見俊輔伝

  • 作者:創, 黒川
  • 発売日: 2018/11/30
  • メディア: 単行本