熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』

日曜日。曇。

午前中、スーパー。

昼から県図書館。もう勉強机が使えるようになっていた。
肉屋。牛のランプステーキを買ってきた。


熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』読了。おもしろかった。シロクマ先生は精神科医であると同時に著名なブロガーでもあり、わたしもシロクマ先生のブログは多くはムカつくために愛読している。シロクマ先生はわたしより一回り年下で、このような本を書くには絶好の位置にいるようだ。本書は高度資本主義のある種の日本的展開に対する違和感の表明であるが、シロクマ先生の立ち位置が絶妙なのは、シロクマ先生が地方出身者でありながら、現代日本における「成功者」であり、その(都市的)規範意識を内面化していることにあるだろう。一方で著者は「オタク」というかつてのマイノリティに所属し、「現代の若者文化」にも造詣が深い(笑)。さて、ほとんどインターネット経由でしか現代を知らない世間知らずのわたしは、本書に対してどう接したらよいのか。他人からしたら現代の「敗者」という他ないわたしは、本書を読んで「何をいまさら」という感じもある。田舎に引き籠もった独身の後期おっさんでもあるわたしは、現代における「敗者」という本書の当事者である筈なのに、いまひとつ当事者感が乏しいのである。いや、それは誤読であるかも知れない。本書の対象読者は、田舎に引き籠もった独身の後期おっさんではなく、やはり(大都市圏の)生きづらい若者たちなのであろう。そうであれば、本書がわたしにどうも遠かったのも、当り前なのかも知れない。
 いや、本書の中身について何も書かなかった。勝手に要約すれば、若い人たちよ、君たちはきわめて「(経済)合理的に」「正しく」人生を考えているが、その考え方は外部(人、社会、あるいは環境)から「インストール」されたものであり、君たちが「成功者」でなければ、かかる考え方に基づくこの時代は生きづらいよ、それでいいのですか? という感じだろうか。まあ、勝手な要約てなもんである。しかしそう要約してみると、わたしに当事者感がないのも当然であるな。わたしには、正直言って「そんなこと知るか」といいたい気持ちが、半分くらいある。社会が健康的で清潔で、道徳的な秩序あるものになったのはもちろん進歩で、しかし進歩が常によいことばかりでないのは、別にいまの時代に限ったことでない。河合隼雄先生はよく仰ったな、「二つよいこと、さてないものよ」と。もちろんだからといって問題を座視していてはいけないらしく、著者は著者なりに果敢に攻めていったのであろう。立派なことである。

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

  • 作者:熊代 亨
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
本書のキモは「不自由さ」なのかも知れない。たぶん、我々は意図的に「不自由さ」を求めているのである。「自由」というのはリスクだから。恐らくシロクマ先生は、過度のリスク回避思考(指向)はいけないと仰りたいのだとわたしは思っている。しかし、高度資本主義と結びついた我々のリスク回避思考(指向)を止めることはたぶんできない、それがわたしの認識だ。
 本書の「清潔」というのは、わたしにはどうもピンとこなかった。「清潔」というのは、生の都市化・人工化の話だと思う。リスクとはまた別問題だ。