『最後の親鸞』を再読し始める

強い雨

午前中は甥っ子の勉強を見る。車で迎えに行くとき、前が見えないくらい雨が降っていた。

妹一家合流。昼食は珈琲工房ひぐち北一色店にて。老母が外食したのはほんとひさしぶり。
昼からは、老父が下の甥っ子の勉強を見る。んで、皆んなでお茶にして、妹一家帰る。また雨強し。

ドブへ捨てられたおっさんたち。わたしのいうのは、我々のようなキモいクズのことではない。そうではなく、昭和の日本の発展を支えてきた、司馬遼太郎を読み、いわゆる社畜で、小さな家に住み、家庭をあまりかえり見ず、論理化の苦手なダサいおっさんたちのことである。斎藤美奈子が散々バカにしてきたおっさんたちといってもいいだろう。ああいうおっさんたちは、いまやまとめてドブへ捨てられたが、わたしは何となく彼ら(ここに「彼女ら」は入るのか知ら)のことを思う。もちろん、いまでも彼らの末裔はたくさん残っているが、わたしはそれには興味はあまりない。わたしは何も知らないので、具体的な人名を挙げられない。仮にかつてのソニーとかホンダとか言ってもいいが、そのトップのえらい人たちではない。歴史には残らない人たちだ。昭和のふつうのおっさんたち。彼らは本当にクズだったのだろうか?

団塊の世代以前の、おっさんたちといってもよいだろうか。いや、そこで区切ってよいのかわからないが。

吉本さんの『最後の親鸞』を再読し始めた。冒頭の文章が書名の「最後の親鸞」と同じ題をもっているのだが、…僕は前から何で「最後の」なのだろうと思っていたのだな。今回読んで、なるほど、そういうことだったのかとわかった。そして、以前読んだのはいつだったのかまったく記憶にないが、まるでわかっていなかったのだということがわかった。まあそれはどうでもよくて、この冒頭の文章は、吉本さんのそれの中でも、特別な高さというか、深さというか、何でもよいが、とにかく、遠くまで進んだものだった。そして、吉本さんが例えば禅について何も語らないのが何故か、わかったような気がした。ここまでいくと、一切の宗教は解体し尽されてしまう。吉本さんが親鸞に見たのは、そこまで進んだ「宗教者」の姿だった。しかし、吉本さんが「最後の親鸞」に見たのは、ただの老耄し果てた痴愚ではなく、やはり絶対他力というまずは不可能な道を突き詰めた先の異形だったのだと思う。とわたしは希望的観測で言いたいのだが、親鸞はそれを望まなかったのかも知れないところが恐ろしい。しかし、俗な話だが、わたしの家は浄土真宗の檀家だけれども、その「浄土真宗」というものは、いったい「最後の親鸞」と何の関係があるのかと考えると、いたたまれないような感じがしてくるのはどうしようもない。

しかし、紙一重のところは、自分にははっきりしないのも確かだ。いまのわたしには、白刃の上を歩き続けることは無理だ。どちらかにどうしても倒れてしまう。

つまり、…はからいを捨てる。いまでもよくある道は、バカとしてふるまうということだ。stay foolish、親鸞も「愚禿」とみずからを呼ぶ。しかし、バカとしてふるまっているだけなら、それもやはり「はからい」にすぎない。絶対他力のようで、どこかに自力が入ってしまう。ならば、完全なバカになればよい。単にバカである。そこには「はからい」はないかも知れない。しかし、単にバカであるとして、それがいったい何か? もはやそれに、何か意味があるのか? そこである、問題は。自力修行の禅でも、まったく同じ問題がある(「禅僧くさい」禅僧の問題)。それは措くが、また親鸞に戻って、例えば彼は「悪人こそ救われる」といった。では、悪いことをし放題にすればよいのか。もちろん親鸞はそれを否定している。かかる無限の問題系を突き詰めていった先に、「最後の親鸞」がある。これは「最後」といっても、例えば何か「澄み切った境地」のような最終到着地点のようなものではあり得ない。そこで、親鸞がくたばったというだけだ。…といくら書いてもダメだな。さて、吉本さんはそこで何を書いておられるのか。

こう考えてくると、やはり自力門は他力門よりもよく整備された道であるといわざるを得ない。しかし多くの人が歩くだけに、陥穽もまた多い。他力門はむずかしすぎて、まず歩き通せない。とか未熟者が言ってるよ。

しかし、吉本さんを宗教に引き付けすぎて考えてはいけない。宗教でよければ、吉本さんが『最後の親鸞』を書く必要はまったくなかった。思想の極北。同時に宗教の解体。それは、宗教が無意味ということでもない。だって親鸞なのだから。