曇。
昨晩は中沢さんを読んで寝た。自分のいまの貧しさをつくづくと反省している。
大垣。道が空いている。
ミスタードーナツ大垣ショップ。ホット・スイーツパイ りんご+ブレンドコーヒー393円。ひさしぶりのミスドで、前回から一箇月あまりも経ったか。人がいなくてガラガラかと思ったが、思ったより客がいた。武満さんの対談集を読み始める。現在の(に限らないけれど)自分の(精神の)貧しさについてつらつら思う。様々な領域をくっつけていこうとはぼんやり考えているのだが、考えるようにはなかなかいかない。しかし、自分にできるのはとりあえずそのあたりくらいしかないかなとは思うのだ。他人にはどうでもよいことだが、自分の(精神の)貧しさという問題(?)は、一貫して自分の頭から去らない。何でオレはこんなにバカでクソなんだろうということですね、つまるところ。空疎である。
ミスドで本を読んでいると少しホッとするのは確かだ。
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図書館から借りてきた、武満徹対談集『すべての因襲から逃れるために』読了。このところ全然本が読めないのだが、こういう中身の詰まった本だとたちまち読んでしまう。1987年刊行か。本書の中身については書かないが、読んでいて「貧しいもの」に対してどうすべきかということを、ぼんやりと思っていた。つまり、例えば貧しい本は読まないで、中身のある本だけ読むべきだ、とか。でも、それだったらいまのほとんどの本は読めなくなり、過去の本ばかり読んでいることになる…というのは自分勝手な(そしてたぶん誤った)印象だが、例えばそんな考えはどうなるか。まあ、こういうことはあまり突き詰めて考えたくないが(碌でもない結論になりそうである)、とにかく本が読めない。たぶん、わたしの精神的硬直化のせいなのだろうな。さて、どうしたものか。
- 作者:武満 徹
- 発売日: 1998/12/10
- メディア: 単行本
雨。
NML で音楽を聴く。■リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」で、指揮はクシシュトフ・ウルバンスキ、北ドイツ放送エルプフィルハーモニー管弦楽団(NML、CD)。■ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第一番「クロイツェル・ソナタ」で、演奏はザイード四重奏団(NML)。■ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲 op.57 で、ピアノはクレール=マリー・ル・ゲ、ドビュッシー四重奏団(NML、CD)。これはよい演奏だ。感動してしまった。それにしても、何とさみしい曲だろう。我々は何の希望がなくても、生きていかねば仕方がない、というような印象を受けてしまう。暗くて暗くて、さみしい曲。
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録画しておいた、NHKスペシャル「ヒグマと老漁師」を見る。何だか熊というのは人間によく似ている。それでも、いまでもヒグマと人間が共存していけるという事実があるとは、驚き以外の何ものでもない。しかし、それはユネスコの認められることでは恐らくないだろうし、日本人でもこの後の世代はダメかも知れない。それにしても、「ヒグマのオヤジ」の、ヒグマも自然の一部だし、人間も自然の一部だという考えは、完全な真実である。けれどもいまの日本では、西洋流の自然と人間を対立させる考え方に我々は馴染んでしまったし、もはや真実に帰ることはできなくなった。わたしもまた、「ヒグマのオヤジ」のように自分がいかないことは、はっきりと理解している、恥ずかしい話だが。
人間と熊の関係について、中沢さんがたくさん言及なさっていることを思い出したりした。人間と熊は、ずっとずっと昔から深い関係を築き続けてきたのである。
中沢さんの「人は熊を夢見る」という小文を読む。