雨。
大きな会社でわたしの担当した企画というのだろうか、何か忘れたがそんなようなものが、商業的に大成功するという夢を見る。何それという感じ。実際はわたしは会社づとめをしたことはないし、これまでお金とか成功とかも縁がなかった人なのに。さてはて。自分ではあんまりいい感じがしない夢だった。
午前中、ごろごろする。
「ユリイカ」の坪内祐三追悼号落掌。まずは中沢さんの文章を読む。あとはぽつぽつと拾い読み。山田稔、小沢信男、福田和也、西村賢太、岡崎武志、服部滋、絓秀実あたりの諸氏の追悼文をざっと読む。なるほどなという感じ。しかし、追悼文をまとめて読むというのは、ちょっと気持ちが悪いというか、嫌悪感を覚えるものだ。
結局、東京という外国のことは自分にはよくわからないなという思い。あまりにもここと常識がちがいすぎるのだ。しかし、ここも東京の劣化コピーになりつつある、いや、既になっているわけだが。インスタントコーヒーを飲んだだけなのだが、部屋がコーヒーのいい匂いで満ちている。
NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第五番 BWV829 で、ピアノはピ=シェン・チェン(NML、CD)。■ガギク・ホヴンツ(1930-)のデュオ・ソナタで、ヴァイオリンはアニ・アグハベキアン、チェロはミーシャ・メイヤー(NML、MP3 DL)。■武満徹の「メグリ」、細川俊夫の「息の歌」で、フルートはエベルハルト・ブルム(NML、CD)。武満徹と細川俊夫を続けて聴くといろいろなことを思わせられるが、いちばん強く感じるのは、この二人がまったくちがうということだ。もちろん細川は武満以降、もっとも世界的に知られている日本人の現代音楽作曲家であるが、そこで二人を似たものと考えてはいけないということである。わたしはそのどちらが優れているとか、そういうことにまったく興味はないが、さても細川はオリエンタリズムであるとわたしは思う。そこが武満とはちがう。そして、敢ていえば、細川は才能ある作曲家であるが、その音楽にあまりにも「深み」が足りないようにわたしには思われる。もちろんそれでどうということはなくて(そもそも「深み」とは何だといわれるかも知れない)、わたしはこれからも細川の音楽を聴き続けていくであろう。そんなことをつらつら思った。■ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第七番 op.108 で、演奏はパヴェル・ハース四重奏団(NML)。
■ドビュッシーの交響詩「海」で、指揮はベルナルト・ハイティンク、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(NML、CD)。最後がすごい。