こともなし

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハのフルート・ソナタ ホ短調 BWV1034 で、フルートはウィルベルト・ハーゼルゼット、チェロはヤープ・テル・リンデン、チェンバロはヘンク・ボウマン(NMLCD)。■バッハのチェンバロ協奏曲 ニ短調 BWV1052 で、チェンバロはフランチェスコ・コルティ、イル・ポモ・ドーロ(NML)。これはフレッシュでカッコいい演奏だ。曲自体がすごくカッコよくって、好きなのだけれどね。両端楽章は速めのテンポで、生き生きとぶっとばしている。

Harpsichord Concertos

Harpsichord Concertos

 
AtCoder をやるも苦戦。わたしは競技プログラミングはあまり得意でないなと思う。基本的なアルゴリズムと実装が頭にあって、問題に応じてさっさと選択しコーディングしていかないといけないのだが、わたしはまだ競技プログラミングに必要なアルゴリズムを把握しきっていないなというレヴェル。また、実装をあまり速度の出ない Ruby でやっているので、むずかしい問題は相当によいアルゴリズムを使わないといけない。ま、いずれにせよ遊びなのですけれどね。

正義の味方は大勢の人が苦しむとか死ぬとか、大問題が出てくるほど楽しそうだなあ。自分の回転のよい頭が存分に働くのを実感するのが楽しいんだね。結構なことである。


夕方、少しだけ散歩。近所の桜を廻った。
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レンゲが作ってある田んぼもめっきり少なくなった。わたしが子供の頃は、レンゲのある田んぼがふつうだったのだが。これはきれいだからというよりも、レンゲが田の肥やしになるからである。近年レンゲがあるなあと思っているとその田んぼで田植えをしなかったりするので不思議な感じがしていたら、レンゲだけ作っておくと市か何かから補助金が下りるらしいとわかって納得した。田舎とはそんなものである。


鈴木宏昭『類似と思考』を180ページほど読んだ。なかなかおもしろい。科学ゆえに自分などには新鮮な着想があったり、また科学ゆえの限界もたくさん感じる。著者はこれまで立場の悪かった「類似」というものの重要性を何とか示そうとしているが、じつはアナロジーがなければ思考がないとまでは言い切れていない。しかし、人間という生物において、アナロジーは本質的なのである。そこにもっと迫って欲しいと思わないでもないが、まあ科学の領域としてはよくやっている感じだ。でも、科学は歩みはゆっくりだが、じっくりと進んでいくのはすばらしい。ま、いずれにせよわたしは科学者ではない。
 それから、どこかでプラトンの「イデア」について言及があってよさそうだと思うのだが、どうもそんな風ではなさそうだ。本書第二章に出てくる「プロトタイプ」という概念などは、プラトンの「イデア」に近いように思われる。

読書中に寝てしまった。