母再々入院

曇。

朝起きてから、入院の準備。病院に電話して、入院をお願いする。十一時頃、母入院。

老父とは別に昼食。コメダ珈琲店那加住吉店。ミックストースト+たっぷりブレンドコーヒー1170円。おいしくて、ちょっとホッとする。
借り直した武満本を読む。わたしは音楽のことはよくわかっていないし、武満さんの音楽もそれほど聴いているわけではないけれど、不思議と強く惹かれる。敢ていえば、その「惹かれる」部分だけで武満さんの音楽を理解しているに過ぎない。そして、どこに惹かれるのかもだいたいわかっている。うまく言語化はできないけれど、それは一種の「自然」、「人工物の対極にあるもの」への憧れみたいな感じである。あるいは、「生」「生きているもの」、そして必然的に「死」に対する共感ともいおうか。現代は「生の全面的な人工化」の時代である。生の全領域が、人工物で埋め尽くされようとしている。わたしはそれが「いけないこと」なのかは知らないし、この流れはまず止められないことをよく知っている。しかし、いくらなんでも、やりすぎだろうとも思っている。武満さんのことを考えるとき、そんなことをとりとめもなく思ったりするのだ。

武満徹・音楽創造への旅

武満徹・音楽創造への旅

そしてわたしは、じつは音楽だけでなく、武満さんの発言、さらにはエピソードのようなものにも惹かれる。「武満多面体」に惹きつけられるのだ。

「生の人工化」はモダニズムが典型なのであるが、わたしは上のように言いつつ、じつはモダニズムは嫌いでない。じゃあ、いったい何がいけないのか。わたしの言っている「人工物」というのは、どこか幼稚くさいのが共通点である気がする。だから何だという感じが、自分でもするけれど。それに、お前は幼稚でないのかといわれたら、そうだよね、幼稚なところもあるよねと応えざるを得ないしな。

ま、いつもと同じ、時代遅れの人間の繰り言。

老母から電話があって、とりあえず処置してもらったそうでよかった。今日はたまたま主治医の先生がお休みで、また三連休もあることであり、すぐに手術というわけではないようである。明日主治医の先生に見てもらって、先生の判断に拠るだろうとのこと。どうも月曜日の診察のときよりはよいそうで、意外だった。老母の声もそんなに沈んでいるわけでもなかったし、まあ手術はもう仕方がないと思っているので、あんまり落ち込んではいない。

午後は三時間ほどずっとごろごろしていた。だいぶ楽になってきた感じ。動物と一緒で、調子が悪いときは暗いところでぢっと丸くなって回復を待っているだけなのである。


夕食はスシロー各務原那加店。いま食事を作ることが考えられないので、しばらくサボらせてもらうことにした。いわゆる回転寿しなのでちょっとせわしないのが難点だが、まずまずおいしい。わたしは結構たくさん、それも高めのものも注文したのだが、老父はわざとなのかたまたまなのか、安いのばかりだった。まあ、腹いっぱいになったといっていたので、よいのかなあ。