祝日(建国記念の日)。昧爽起床。
図書館から借りてきた、アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』読了。よく知られた古典なので、読めてよかった。英雄たちがアルゴー船に乗って、「金羊毛」を求めに行く話である。著者は古代アレクサンドリア図書館の館長でもあった人なのだな。京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」には、他にも読んでみたいものがいろいろある。
- 作者:アポロニオス ロディオス
- 出版社/メーカー: 京都大学学術出版会
- 発売日: 2019/03/05
- メディア: 単行本
NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第五番 BWV816 で、ピアノはジュリアン・リベール(NML、CD)。
晴。ごろごろ。
洗濯、風呂掃除。
老母から電話があって、そろそろ退院できそうな感じ。前回よくなかったので、今度は高島暦も参照するんだって。それもありだろう。とにかく先が見えてきた。
老父は井戸の蓋を作っているので、ひとりでコメダ珈琲店那加住吉店にて昼食。ミックストースト+たっぷりブレンドコーヒー1170円。武満さんへのインタヴュー本の続き。とても惹かれる。何というか、純粋な人たちがたくさんいて、共鳴し合っていた時代だなあという感じ。読んでいて胸がいっぱいになるところがある。才能を感じる者同士が、経済的に恵まれているものは恵まれていない者をそれとなく援助し、助けられた方も何かを(それは「無」のときもあるかも知れない)返していく。友人たちの集まりも、何かしら理想と純粋で無私なものがやはりあるように思われる。わたしも、そういう世界を実際に見てみたかったという気がした。わたしたちの世代は、一般的に経済的に恵まれていたのだが、若い頃、わたしには確かに同世代に何か、というか大変飽き足らないところがあった。実際、わたしの世代に、あらゆる分野で才能はきわめて少ない。これという芸術家も、文学者も、学者もほとんどいないように思われる。まあ、自分のことを棚に上げるのは止めよう。わたしも何もできなかったのだから。
それにしても、立花隆氏のことは見直した。というと上から目線ですね、とにかく、この人は武満徹が本物であることをがっちり自分で掴んでいる。血肉にしている。立花氏が「田中角栄金脈」の人であることを考えると、これは意外だった。武満さんの音楽が非凡であることを感じるのはそれほどむずかしいことではないが、彼が「本物」であることをはっきり掴まえている人はじつはあまりいない。たぶん、(わたしにははっきり言えないが)プロの音楽評論家、あるいは音楽家でも、誰でも武満さんの音楽の「核心」*1を掴んでいるとは限らないと思っている。
ちょっと力んで語ってしまった。今日読んだところでは、谷川俊太郎との生涯にわたる友情の話がとてもおもしろかった。ふたりはまったく正反対のタイプの芸術家なのに、生涯深い友情で結ばれていた。谷川俊太郎はまず人間に興味があり、実生活をとても大切にする。対して武満さんは例えば愛好するのはシュルレアリスムであり、生活の「些事」はまったく奥さんまかせで、若い頃は完全な「破滅型」の芸術家だった。心の奥深いところに激発するものを秘めていて、若い頃はヤクザと喧嘩したりするくらいだったという。次第に奥さんや谷川の影響でそういうところはあまり表に見せなくなり、古くからの友人にはそれで武満は「つまらなくなった」というようにいう人もいるくらいだが、そのままだったら、めちゃくちゃな生活で武満さんは確実に早死しただろう(武満さんは重度の結核だった)。とにかく興味深い人だ、武満さんは。
面会。もう熱が出る以外はよいようで、その熱も血液検査などをみると悪くはないらしい。見ていてもふつうの感じで、とにかく時間をもてあましていると。退院も看護師さんと相談して、いつでもよいということで、何もなければ数日後になる予定。
一時間あまり散歩。今日は暖かく風もなく、散歩するのに最高の日だった。もう春を感じた。
日向で猫たちが閑談しているのを見て、満足して引き返してきた。
いつも同じような写真ですが。
夕飯は豚骨しょうゆ鍋とやら。初めて使うつゆだが、まあまあかな。デザートはウチのみかん。老父が入浴前に、「今日のご飯はなんや」とか、めずらしいことをいった。
webちくまに掲載されている、上間陽子さんの「海をあげる」という連載(だった筈)がおもしろいと老母がいっていたので、読んでみた。いや、これはよい。泣きそうになりましたよ。
*1:これは拙い表現だった。武満さんの音楽がどれほどの射程をもっているか、どこまで届いているか、とでも言った方がまだマシかも知れない。