曇。昨日に比べたらだいぶ暖かい。
NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第二番 BWV826 で、ピアノはジュリアン・リベール(NML)。よい。
- アーティスト:Julien Libeer
- 出版社/メーカー: Harmonia Mundi
- 発売日: 2020/01/24
- メディア: CD
甥っ子の勉強を見る。数学と物理。
昼食は甥っ子とふたりで、珈琲工房ひぐち北一色店。名鉄岐阜駅まで送っていく。
面会。先生の診察があったそうで、来週中には退院できるかも。よい知らせだ。
スーパー。
帰ってきて少しだけ散歩。
鳥はうぐいすっぽい。二枚目の写真はひどくブレているが、まさに南天の実をついばんだところでつい載せてしまった。
夕方、ごろごろする。
また風呂を洗い忘れる。これに限って忘れるのだから変なものである。今日は甥っ子が来ていたしなあ。
夕食は刺身。ブリ、マダイ、カイワレ、キュウリ。紅菜苔とサラスパのサラダ。残りもののブロッコリ。松前漬。
テレビでブラタモリを見ていたら、老父が「沖縄へも行ったし、次行きたいのはオレはここだな」といっていた。マジか、四万十川ですよ。さすがにちょっと無理な気がするが。それに釧路湿原はどうなったんでい。
妹のところが明日、上の甥っ子以外の三人で来てくれるそうである。気にしてくれているなあ(特に老父のこと)。感謝。
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わたしはまさにものごころついた頃から今までずっと本を読んできたし、量はそれなりにこなしてきたと思うが、結局「読書家」でも、ましてや「読書人」などでもないなとつくづく思う。わたしは本が読みたいから、読むのが好きだから読むのではない気がする。もちろん読んでいて、楽しむことがあるのは当然だが。また、ご飯を食べるようにとか、息をするように自然に本を読むのでもない。むしろ、読まないといけないから、義務だから読むという、ある意味バカにされる読み方に近い。そんな読み方をして何の意味があるのか。さあ、それは知らない。だから、いつか読まなくなる日が来てもわたしは驚かないし、たぶん本なしでも生きていけるような気がする。まさに「読書家失格」であろう。
思えば、高校生の頃までは、本を読むのが好きだったし、自分の読書力にも自信があった筈である。しかし、本当の意味で本を読むようになってからは、上のような読み方になった。そして、もはやそういう読み方をするようになってからの方が、だいぶ長くなったのである。バカバカしいとお笑い下さい。