岸政彦『断片的なものの社会学』

元日。曇。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

NML で音楽を聴く。■スカルラッティソナタ K.31, K.32, K.33, K.34, K.35, K.36, K.37, K.38, K.39, K.40 で、チェンバロスコット・ロスNML)。

ベートーヴェン交響曲第三番 op.55 「英雄」で、指揮はクラウディオ・アバドベルリン・フィルハーモニー管弦楽団NMLCD)。ずっと聴き返したいと思っていた演奏。前回は去年の5月に聴いているのか(参照)。自分のやりたいことにすごく参考になる。というか、アバドは圧倒的に前を行っている(当り前か)。また一年くらいしたら聴き返したいな。


AOJ をやっていたのだけど、むずかしすぎてつまらず。

アニエス・ポワリエの『パリ左岸』、第五章に至って挫折。パリ解放のところまでは読んだ。良質の本であるが、わたしに本書をおもしろがる教養がない。サルトルボーヴォワールカミュも、ピカソコクトーも、ポール・エリュアールアンリ・カルティエ=ブレッソンも、ヘミングウェイアーウィン・ショーもあまり興味は抱かれない。ジャン・ポーランガリマール、ジャック・ジョジャールのエピソードはおもしろかった。文体がわたしには少し甘すぎる。まあ、わたしの教養のなさがいちばんであろう。

パリ左岸:1940-50年

パリ左岸:1940-50年

ちなみに、ジャン・ポーランというとわたしは『O嬢の物語』を思い出すが、いまでは本作はポーランの執筆に係るのではなく、彼の恋人だったドミニク・オーリーの手に成ることがわかっているそうである。翻訳の形態もそれに相似しているのがおもしろく、矢川澄子が下訳をし、澁澤龍彦の名前で出版された。わたしの好きなポルノグラフィである。
O嬢の物語 (河出文庫)

O嬢の物語 (河出文庫)

図書館から借りてきた、岸政彦『断片的なものの社会学』読了。最初に白状しておくが、本書はいつものスピードでは読めず、かなり速読したことを記しておく。そうでなければ、本書は最初のページで挫折しただろう。その上で言えば、非常におもしろい本だった。一気に読了させられた。社会学というよりはむしろ文学である。初めて読む著者であるが、この異様なまでの繊細さは、文学と呼ぶ他ない。そしてまぎれもなく文学的な感銘を齎すのであり、オビに小説家の惹句が記されているのも宜なるかなである。社会学的に見れば「境界性」に拘る研究者であるようにも思えるが、そのような一般化では捉えきれないものを感じるのも文学だ。しかしわたしは冷酷な人間でもあり、著者のあまりの「繊細さ」(それは紛れもない才能である)に少々気味が悪かったことを告白しておく。本書が大変におもしろかったにもかかわらず。それはむしろ著者よりも、わたしの問題なのかも知れない。つまりそれは、差別意識に近いのではあるまいか? いや、そんな面倒なことは考えず、「この文学おもれーよね」とでも思っていればよいのであるか? ちなみに、著者はわたしとほぼ同い年である。

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学