名古屋市博物館へ

晴。好天。
十一時間くらい寝る。ある女の子の夢を延々と見ていた。それにしても寝過ぎ。

家族で名古屋市博物館へ、下の甥っ子の習字を見に行く。まあ何かで入賞したので、オジイオバアが見に行くみたいな会だ。ついでに、当所で開かれていた「発掘された日本列島2019」展を観る。これは毎年各地方のどこかでやるもので、これまで行けるときは結構行ってきた。なかなかおもしろいですよ。特に縄文土器に惹かれる。例えばこんなの。
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わたしは縄文時代が好きである。

港区の「香月」で天ぷらうどんを食べた後に、妹のところに寄る。勉強を見ている上の甥っ子は、最近ではわりと落ち着いているようだ。下の方は反抗期真っ只中なのだが、それでも家族旅行には付き合うようだから、心配はないのだろう。いろいろ一時間ほど談笑してお暇(いとま)する。今日は街路樹がきれいに色づいているところがあったな。いい一日だった。

マスコミのいうことを信じているのは「情弱」で、真実はネットにありとはわたしも少しそう思っていたところがあったが、最近のネットにはとてもついていけない。愚者の思考あるいは老化であるかも知れないが、ネットが仮に真実(いまさらだが、わたしは日本でも、何が「真実」かわからなくなってきた)だとしてもついていけないのだ。マスコミはクズかも知れない、しかし(わたしも含めた)ネット民も、どう思ってもクズだろう。そう思うしかなくなっている。わたしももうおしまいなのかも知れない。

何というか、これほどまでに口汚い、冷笑的な言説が仮に生産的であるとして、ではそれは何なのだろう。わたしは絶望を深めるだけというのが本当のところである。

結局、真理などはないのだが、真理がないというのも真理ではないので、そこに立ち戻るしかない。ゆっくりじっくり考えよう。


NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十一番 op.22 で、ピアノはロレンツォ・ゴッシ(NMLMP3 DL)。■モーツァルト弦楽四重奏曲第四番 K.157 で、演奏はフェシュテティーチ四重奏団(NMLCD)。

シューマンの「謝肉祭」 op.9 で、フォルテピアノは小倉貴久子(NML)。うーん、フォルテピアノ、おもしろいではないか。僕はこれまでフォルテピアノ全否定派だったのだが、これはすばらしい演奏だ。こんな演奏が可能だとすると、フォルテピアノだからダメというわけにはいかない。確かに高音域は苦しいが、迫力は充分。小倉貴久子という人はフォルテピアノに特化した演奏家なのか知らないが、少なくともこの演奏に関する限り、現代ピアノに勝るとも劣らないものを聴かせていると思う。

■エネスクのヴァイオリン・ソナタ第三番「ルーマニア民族風で」 op.25 で、ヴァイオリンはディアナ・ティシチェンコ、ピアノはゾルターン・フェヘールヴァーリ(NMLCD)。