沖縄家族旅行(第二日)

早朝起床。下の写真はホテルの部屋から。いい天気で、暑くなりそう。


沖縄の北の方にある「美ら海水族館」へ行くのであるが、まずは途中の「万座毛」に寄る。いわゆる景勝の地だ。写真を見てもらえればわかるだろう。


これはすばらしい眺望だった。辛うじて団体客の到着に先んじた。中国語の飛び交うことといったら。下は変った声で鳴いていた鳥。どういう鳥かは知らない。あたりの植生も沖縄らしかった。


国道58号と449号を北上。途中、名護市のあたりで例の「辺野古埋め立て」のための土砂採取場の横を通る。反対の抗議活動を行っている人たちを見た。山は荒々しく削り取られていた。
一時間ほどで「沖縄美ら海水族館」に到着。暑い。

くらげ。きれいなのでアップします(笑)。

ここは何といっても大水槽のジンベエザメとマンタである。大満足。


施設内のレストランで昼食。バイキング方式でした。

水族館を離れ、すぐ北の「備瀬のフクギ並木」へ。
ここは何かというと、つまりは古い沖縄の村の佇まいがわずかに残っている場所ということである。しかし、我々のような観光客が迷惑をかけているという感じもしないことはないし、観光客を当てにした商売も多少ある。これがいつまで残るかはわからない。なお、何箇所も蚊に喰われるような場所です。かゆい。
暑くてそろそろくたびれてきた。歩くのがしんどい。


多少東へ行って、「今帰仁城(なきじんぐすく)跡」へ。琉球王国が沖縄をを統一する前、14世紀の北山王の居城跡で、石垣が残っている。北山王はそののち滅ぼされた。琉球王国の城になったあとは、薩摩藩の侵攻(17世紀)に遭ってもいるという。

よろよろ歩く。何か大音量の甲高い金属音のようなのが一面に鳴っていて、最初は人工音なのかと思った。しかし、樹の下にいるとすぐ上でキーンという音がする。受付の人に訊いたら、なんとオオシマゼミという蝉の鳴き声だったのでびっくり。自然音だったとは。
下は城内のウタキ。今回の沖縄の旅でウタキを見たのはここだけだった。

ふらふら登っていくと、すごい眺望が待っていた。

下まで降りてきたら、猫が寝ていたのでさわる。そしたら近くの小屋のおじいさんが「サトウキビジュース300円」といった。くそあついので「飲む!」と即答。サトウキビを絞って氷を入れただけのジュースだが、めちゃくちゃうまい。甘露である。しかし、ここの看板猫だったのね。


さて、また有料道路を今度は南へ一時間ほど行き、昨日泊まったホテルから20分くらいのところである「チビチリガマ」へ。

ここは老父のたっての希望で予定に入れたところで、アメリカ軍が最初に沖縄に上陸した地点であり、ここで住民の集団自決があった。それほど有名な場所ではないので、観光客などは他にまったくいなかった。「ハブ注意」の看板がいくつもあった。暗い場所なので、写真もあまりよく撮れていない。

あとは国道58号をずっと南下し(途中にアメリカ軍の巨大な嘉手納基地があった)、那覇市内の「JR九州ホテル ブラッサム那覇」へ。「国際通り」のすぐ近くである。ちなみに、那覇市内のドライバーの運転はかなり不親切だと思う。慣れない都市の運転で車線をまちがえることがあるのだが、意地でも入れてくれない車が多いという印象。


夕食は外で。老父は大学時代の友人(沖縄出身)と飲むため、わたしと老母は夜の「国際通り」を歩きながら、予約しておいた「うりずん」へ。ちょっと店を探すのに手間取ったが、まあリンク先の食べログを見てもらえばわかるけれど、点数がすごく高い。なので、常連以外は我々のような観光客だったようだ。古い居酒屋で、老舗といってよいだろう。もちろんおいしかった。何でもあとでの老父の話だと、老父が会った友人の、そのまた友人(故人)の開いたお店だというので驚いた。いまは息子さんが継いでいるようだ。
 那覇のモノレールであるゆいレールにも一区間乗ってみてホテルに帰る。それにしても夜の「国際通り」のにぎやかなこと。噂どおりというか、すごいものだな。まさにアジア的猥雑と混沌の世界だった。

今日一日で、老母の万歩計によると16000歩、11km以上歩いたらしい。夏のように暑かったし、本当に疲れた。老母はよく歩いたと思う。老父がいちばん元気だったようだ。