アミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』

晴。涼しい。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのディヴェルティメント第十一番 K.251 で、演奏はオルフェウス室内管弦楽団NMLCD)。■シュニトケの弦楽三重奏曲で、演奏はトリオ・リリコ(NMLCD)。トリオ・リリコ、なかなかだな。■バッハの「ゴルトベルク変奏曲」 BWV988 で、ピアノはリリア・ボヤディエヴァNML)。凡庸だけれども、つい聴いてしまった。まあ悪くないのだろうけれどな。しかし、冴えた演奏しか聴かないというのもナニな気がする。

J.S. Bach: Goldberg Variations, BWV 988

J.S. Bach: Goldberg Variations, BWV 988

 
昼寝。

ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。エンゼルフレンチブレンドコーヒー410円。『敗北を抱きしめて』の下巻に入る。天皇制の話。わたしはこれまでの知見から昭和天皇に戦争責任はふつうにあると思っているが、まあ素人の印象だ。そもそもこれは学問的に決着がつく問題なのか、わたしは知らない。ただ、昭和天皇を戦争責任をもって処刑し、天皇制をそこで終わらせるべきだったかについては、あまり考えたことがない。わたしは現上皇に関しては悪印象をもっていないが、そして現天皇についてはほとんど印象をもっていないが、やはり天皇制は廃止すべきなのではないかと漠然と思っている。それはともかく、わたしは昭和天皇についてははっきりと悪印象に近い感じをもっている。この天皇は優秀であったが、かなり自分勝手でトボけた人物で、まあ食えないというか、強い言葉でいえばかなりの「ウソつき」だったことを確信している。本書を読んでも、その印象は微塵も変わることがない。昭和天皇は「国民の統合の象徴」どころか、敗戦後も密かに積極的に政治的に動いた人物であった。「自分は理系なので、戦争責任のような文系的なことはわからない」とか、よく言うよという感じである。もちろん昭和天皇は、戦争責任というのがどういうことか、よく知っていたのである。マッカーサー天皇の戦争責任を問わず、天皇制を存続させて日本の戦後統治に昭和天皇を利用すると考えたことは、昭和天皇に幸いであった。


日没前、ドラッグストアまで散歩。
20190919175448


アミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』再読了。なるほど、前回読んだとき本書の感想が書けなかったのがわかった。今回も書けない。著者と自分は、微妙に合わないのである。それは、著者が正しく、自分がまちがっているから。著者は(わたしのそれのごとき)「諦念」を徹底的に糾弾する。未来は閉ざされていない、希望はあると、わたしとは比較にならない厳しい状況下で喝破する。わたしの頭でっかちな、お気楽な生活の中で成長した「諦念」など、じつに下らないものだ。でも、わたし個人には、やはりその「諦念」はどうでもよいものではない。わたしだって完全にあきらめてしまったわけではないが、ほぼ無理だと思っているのも確かだ。ああ、こんな個人的などうでもいいことを書いてイヤになるよ。

アイデンティティが人を殺す (ちくま学芸文庫)

アイデンティティが人を殺す (ちくま学芸文庫)

しかし思うが、わたしのようなだらしのない人間に受け入れられない解は、決して最終的な勝利を得ることはないのではないか。ふつうの人間のふつうの生活は、英雄的なものではなく、もっとだらしなく下らないものなのだし、それでよいのだとわたしは思っている。

まったく、辛気くさくて気がくさくさする。クソマジメは死すべし。

斎藤慶典を読む。青空を見たことがないのに文献だけで青空を語る人が多いな。ま、わたしごときクソが何をか言わん。