石牟礼道子&伊藤比呂美『死を想う』

日曜日。曇。
昨晩、中沢さんの『レンマ学』の本論を読了した。あとは付録を残す。世界でもこんな本が書けるのは中沢さんしかいない。わたしは言葉の本来の意味で画期的だと思う。この本は繰り返し読むつもりだ。しかし中沢さん、老いを感じさせない仕事ぶりだなあ。

NML で音楽を聴く。■バッハのオルガン協奏曲ニ短調 BWV596、前奏曲とフーガ BWV532、「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」 BWV622 で、オルガンは中田恵子(NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十四番 op.78、第二十六番 op.81a で、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ(NMLCD)。コヴァセヴィチのベートーヴェンはすばらしい。ある本を読んでいたらベートーヴェンはあんなに下品じゃなかったら我慢できるのにという言葉があったが、わたしはその下品で粗野な田舎者のベートーヴェンが本当に好きだ。コヴァセヴィチの「告別」の終楽章なんか、感動させられてしまったね。■モーツァルト交響曲第三十五番 K.385 で、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤンフィルハーモニア管弦楽団NML)。
 

昼からガソリンスタンド。米屋。

図書館から借りてきた、石牟礼道子伊藤比呂美『死を想う』読了。わたしの大好きな方たちだ。伊藤比呂美さんがあんまりにも無知で、石牟礼さんにいろいろ教えてもらっているのが可笑しい。石牟礼さんはいうところの「自殺未遂」ということを何度もされた方で、最初のは八歳のときだったか、昔から死にたかったそうだ。わたしはかつてはそういうことはよくわからず、「強い人」だったのだが、生きることそのものが苦痛だというのは最近ではよくわかるようになった。仏教でも「生老病死」といって、「生」そのものがつらいものだという認識である。生まれて来たのは已むを得ないことなのだ。しかし、石牟礼さんの「痛いとか苦しいのはイヤ」というのもまさにそのとおりで、それにそんなことを言っても、わたしは早死するのはやはりちょっとイヤである。まだまだ覚悟というか、修行が足りないのだ。けれども石牟礼さんの世界は、ネガティブというわけでもない。陽の差した世界はキラキラと美しく、水際には生き物たちが満ち溢れている。そんな日本はもうとうに消滅して、もはや古典の世界か、それとも詩人の世界のうちにしかないのかも知れない。それにしても、日本の古典の世界はすばらしいことを感じる。自分の無知が残念で、これについては少しづつお勉強していきたい。

死を想う―われらも終には仏なり (平凡社新書)

死を想う―われらも終には仏なり (平凡社新書)

アニミズムというのは単純で幼稚な世界だというのが西洋的価値観である。しかしわたしは、結局その単純で幼稚な世界の住人なのだとつくづく思うようになっている。

いや、そう書いてしまったが、本当か? いまでもアニミズムの世界が可能だというのか?

何か今日はボケたこといっぱいやったな。終ってるなあ。さっさと寝よう。