南直哉『仏教入門』

晴。朝から酷暑。
相変わらずあまり元気がないが、凹まないようにしよう。

午前中、甥っ子の勉強を見る。

NML で音楽を聴く。■ショパンのバラード第一番 op.23 で、ピアノはジュディット・ハウレギNMLMP3 DL)。このピアニストはまずまず悪くはないのだけれどじつのところよくわからないのだが、ショパンスクリャービンと初期シマノフスキというのがわかっているなという感じでアルバムの構成がよい。■ジョスカン・デ・プレの「おお、いと聡明なる乙女」、「アヴェ・マリア」、「復活のいけにえに」、「私にキスしておくれ(4声)」で、指揮はエドワード・ウィッカム、クラークス・グループ(NML)。

Des Prez: Missa Malheur Me Bat

Des Prez: Missa Malheur Me Bat

 

昼から、ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。宇治抹茶ホイップ+ブレンドコーヒー399円。夏休み、子供たちがぎゃあぎゃあ走り回っているフードコートで、『そろそろ左派は…』の続きを読む。うーん、しっかり理解しようとすると相当にむずかしい本だな。学者の二人は当り前だが、ブレイディみかこさんもすごく勉強されていて、ついていくのが大変。本書の「レフト3.0」というタームが含蓄がありすぎるのですけれども。このあたりになると、わたしの不勉強ぶりがはっきりとするな(特に北田さんの話がわたしにはむずかしい)。それに、そもそもわたしはあまり頭がよくない。まあしかし、読んでいて元気が出る本である。それにしても、小泉政権民主党政権もいまから思うと緊縮政策でひどかったのだなあ…。小泉政権(日本を海外に売り渡した元凶)は当時も全然支持していなかったけれども、民主党の「事業仕分け」とかには興奮したものだった。あれは確かに不況下の緊縮策で、どうしようもない愚策だったといまならわかるのだけれど。無知はこわいな。

カルコスに寄る。わたしは何だか仏教に関してエラそうなことをいっているが、もちろん素人によくあるオレオレ仏教に過ぎずレヴェルも超低い。ま、いまのトレンドでも読んでおくかとえらい南直哉師の新書本を買ってみる。たぶん、読んだらむちゃむちゃ反感をもつだろうと予想しているので、読むのが楽しみ。オレってクソだよね。
 それから、梶谷先生の共著新書もあったので買う。
 と店内をふらふらしていたら、中沢さんの待望の新刊が出ているではないか! 全然知らなかった。「群像」の連載から、意外と早く一本にまとまったな。うれしい。いま、いろいろ同時並行的に本を読み散らかしている最中だが、これは読まざるを得ない。もっとも、読んでもたぶんほとんどわからないと思うが。

レンマ学

レンマ学

 

南直哉『仏教入門』読了。以下のことは一切信じてもらう必要はない。ただの未熟な馬鹿者のつぶやきである。
A crazy fool says. 本書は敢て言うが悲惨な本である。著者は高僧であり、そのような方が形而上学を構築してしまっている。いや、それがいけないというのではないが、川は川であり山は山であり、しかし川は山であって山は川であるが、けれどもやはり川は川であり山は山である(中国仏教くさいですね)というところがまったくないのではないか。この人の形而上学はこれも敢て言うが「煩悩」(あるいは「無明」)に他ならない。永平寺で二十年間修行された高僧がこれだとは。わたしは超恥ずかしながら道元禅師の御本は読んだことはないが(よくそれで仏教とかいうよw)、道元禅師は本物だったと信じているけれども。おそろしやおそろしや。

仏教入門 (講談社現代新書)

仏教入門 (講談社現代新書)

クソ素人であるわたくしは著者とはちがい、ブッダに還れは納得するが、ブッダの言ったことに還れは敢て言えばどうでもよい。いやはや、まったく意味不明ですね、逆、つまり著者が圧倒的に正しいですね。わたしもそれは認めないでもないですけれど(笑)。つまり、わたしはまちがっているのです。

しかしそういうわたしが中沢さんの「形而上学」を喜び勇んで読もうというのだから、わたしの矛盾もここに極まれりというべきか。

うんこ。

■バッハのブランデンブルク協奏曲第三番 BWV1048 で、指揮はジョン・エリオット・ガーディナー、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(NML)。すばらしいのだが、Adagio のヴァイオリン・ソロは何?

Brandenburg Concertos Nos. 1-6

Brandenburg Concertos Nos. 1-6

■バッハのブランデンブルク協奏曲第五番 BWV1050 で、指揮はジョン・エリオット・ガーディナー、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(NML)。最初にガーディナーを聴いたのはモーツァルトのいわゆる「大ミサ」 K.427 の録音だったと思うが、そのときはあんまり感心しなかった筈なのだよね。たぶん、それはブログのどこかにあると思う。しかしいまでは自分のもっとも好きな指揮者のひとりになったのだから、いかにわたしの音楽を聴く力が一貫していないかということだな。もちろんいまでは「大ミサ」の録音も大好きである。