吉本隆明『改訂新版 共同幻想論』

雨。台風接近。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第二番 BWV1003 で、ヴァイオリンはヤッコ・クーシスト(NMLCD)。

午前中はごろごろしていた。

ブラームス交響曲第二番 op.73 で、指揮はピエール・モントゥー、ロンドン交響楽団NML)。有名な録音らしい。

BRAHMS/ SYMPHONY No.2,OVERTURES

BRAHMS/ SYMPHONY No.2,OVERTURES

ブラームスの「悲劇的序曲」 op.81、「大学祝典序曲」 op.80 で、指揮はピエール・モントゥー、ロンドン交響楽団NML)。「大学祝典序曲」の最後に引用される「ガウデアムス」に個人的な思い出があるので、この曲は好きというか、懐かしさを覚える。■シェーンベルク弦楽四重奏曲第二番 op.10 で、演奏はアルディッティ弦楽四重奏団、ソプラノはドーン・アップショウNMLCD)。

午後三時頃、風雨強し。
 

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けものフレンズ」最終話を見る。


吉本隆明『改訂新版 共同幻想論』を再読し終える。内容についてわたしごときに言えることは何もないが、とにかく再読はおもしろかった。今回が読めているわけではないけれども、とにかく初読時は何も読めていなかったね。そして、日暮れて道遠しをまたしても痛感する。たんなるスノッブ的なことすらうまくいえないな。本書を誰かが「偽史」と一刀両断していたが、まあそんな風にも読めるかも知れない、つまり本書はクズであると。わたしにはその言の真偽すら判定できないわけだが、吉本さんの掘削力は何とかこの身に刻み込ませたいと思って読んだといっていいし、わたしにはそのような読み方くらいしかできないだろう。本書は昔も今も、アカデミシャンに読まれるような本ではない。本書を読んでも、学術論文を書く足しにはおそらくならないだろう。
 それにしても、最後まで読んでも本書は国家論ではなかったようだ。いや、それはいいすぎかも知れなくて、国家に関してはある意味ではその「起源」を与えるものである。しかしそれも、「幻想」という一種の認識の土台というものを通しての、古代日本の国家起源論とでもいうべきか。そしてさらにいうと、国家の起源よりも、むしろ「幻想」の解明の方が重要なのであり、それはこれ以降の吉本さんの書くことの武器としてさらに研磨されていったにちがいない。とにかく、「共同幻想論」という題名は掛け値なしに正しかった。

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

でも、以上もわたしの気持ちを正確に言っていない気がする。結局、わたしは凡人として、できるだけ前進したいし、それは何かに特化せざるを得ないアカデミズムとはあまり関係のないことである。そのための決して多くない叙述家を、樹液をたっぷり含んだ叙述家を渇望しているだけなのだ。たんに、個人的な動機にすぎない。

いまつい「前進」と書いてしまったが…。おそらくは他人には伝わらないだろうな。