日曜日。曇。
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンの交響曲第一番 op.21 で、指揮はルネ・レイボヴィッツ、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(NML)。
Beethoven: The Nine Symphonies, Vol. 1
- アーティスト: ルネ・レイボヴィッツ
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- アーティスト: Gustav Mahler,Hans Werner Henze,Mariss Jansons,Amsterdam Concertgebouw Orchestra
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ぽつぽつ雨の降る中、珈琲工房ひぐち北一色店。吉田秀和さんの『カラヤン』を読む。カラヤン没後30年だそうで、河出文庫のオリジナル編集だ。まだ読みかけだが、かつて読んだのを覚えている文章もある。いまの感覚で読むと、はなはだ文学的な文章でまずはそれに驚かされる。しかしすぐに慣れて、次に指摘の測ったような正確さに感銘を受ける。吉田さんは、まさに音楽評論家に必要なすべての能力をもっているように思われるし、文章の魅力はいうまでもない。それは書かれた年代にはあまり関係のない質の高さを誇っているが、また一方でわたしは後の時代の文章ほどより柔軟で、好きだと感じる。いずれにせよ変わらないのは、吉田さんの文章を読んでいると音楽が聴きたくなってくるという事実で、音楽評論家を測るのにこれがいちばんの指標である気がする。
それにしてもカラヤンだとはね。このブログでもカラヤンについては結構書いてある筈で、自分はそれをここで繰り返そうとは思わない。ただ、日本のオンガクヒョーロンカとか一般のリスナーの紋切り型として、吉田さんも書いておられるとおり、「カラヤンは底が浅くて見え透いている」というものがあって、わたしはこれは単に音楽が聴けていないだけだと思ってきたし、吉田さんの態度もわたしの考えをある程度支持してくれるものと確信している。もちろんわたしはカラヤン信者ではないが、カラヤンは自分が聴いてきた中でもっとも謎めいた指揮者であるとわたしはいまでも思っているのだ。カラヤンは、そんな簡単な音楽家ではない。
- 作者: 吉田秀和
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吉田秀和『カラヤン』読了。わたしは、60年代のカラヤンは別格だったと思っている。前にも書いたが、好き嫌いは別として、あれこそは「ヨーロッパの最高級ブランド」だったのだと。まさに様々の伝統と偶然の積み重なりであり、我々がいかに西洋音楽をうまく演奏できるようになっても、未来永劫あれを超えることはできないという存在として。わたしが60年代のカラヤンをまとめて聴いたとき、本当に驚かされたものがあった。むしろ、度肝を抜かれたとでもいうべきか。カラヤン=人間のクズ説は正しいということだが、それを思うと芸術はむずかしいのだなあと、つい陳腐なことを書いてしまうわたしだ。
また聞いた風な、わかったようなことを書いてしまったか。