こともなし

曇。
昨晩は小林秀雄全集を読んで寝た。わたしは今までいちばん読み返した本が小林秀雄全集というへんな人である。いまでは小林秀雄という人は大変に評判が悪いので、自分にももう古くさすぎるかなとか思いながら読み始めたが、たちまち惹き込まれてだいぶ読んでしまった。小林秀雄は文章に心血を注いだ人であるが、いまや小林秀雄の文章は人々を捉える力を失っているという。わたしにはさみしい話である。

NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第六番 BWV830 で、ピアノはシェン・ユエン(NMLCD)。■ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第九番 op.117 で、演奏はフィッツウィリアム弦楽四重奏団NMLCD)。ずっと聴いてくるなかで、自分はちょっとフィッツウィリアムSQ を侮っていたのではないかという気がするようになった。これらは決してそんなつまらないものではない。


カルコス。探していた本がなかったので、他の本を二冊買う。さて平積みになっている本を見ると呆れてしまうことが多いが、まあそれは自分が現代についていけないだけであろうな。しかし、あんなに口汚い言葉づかいをするホリエモンが、皆んな好きなのですなあ。現代において価値があるのですね。

ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。多和田葉子さんの『雪の練習生』という連作短篇集みたいな本を読む。不思議な小説だ。人語を解するホッキョクグマが人間の中で暮らしているのだが、やはり思考回路(?)が人間とちがっていて、だいぶズレている。そこを楽しむ小説だろう。物語の中でカフカの小説が話題になっていて、ネズミの歌姫ジョセフィーヌ(だったっけ👉追記。「ヨゼフィーネ」だった)の話も出てくるが、そのあたりのカフカへのオマージュというか、挑戦のようにも思える。しかしじつのところをいえば、自分は多和田さんの小説の「読みにくさ」がいちばん読みたいのだという気がする。多和田さんの小説の文章にはどこかイヤなところがあって、(わたしには)読みにくいのだ。こういう文章は、なかなか書こうとして書けるものではなく、ある意味「才能」であると思われる。これは、多和田さんがバイリンガルであることと関係があるのだろうと思う。日本語でありつつ日本語っぽくない。でもやはり日本語。そんなところだ。続けて読む。


日没前、散歩。
20190701193813
このところ蒸し暑くなってきて、散歩できなくなってきたなあ。

ひさしぶりにプログラミング・ブログを書いた(参照)。