こともなし

晴。

ごろごろぐーぐーばかりしている。

昼から珈琲工房ひぐち北一色店へ。自分の部屋にいると何もしたくないので、せめて喫茶店で強制的に読書をする。ま、おいしいコーヒーも飲めるしな。岡本隆司『中国「反日」の源流』の文庫本を読む。題名からすると現代中国論のように、それも下らぬ本のように思えるかも知れないが、じつは明の時代から始まる、硬い歴史書で、ある中国の専門家は名著だとしていた。最近あらゆる分野で自分の知識の底の浅さを痛感しているので、まあ焼け石に水ではあるがお勉強も兼ねて読み始めた。なるほど、第一部を読み終えたけれども、わたくしのごとき素人だが、敢てエラソーに名著といってもよろしいであろう。近代中国(繰り返すが明以降である)と近代日本(江戸時代。むしろ慣行に従って「近世」というべきか)を対比した(この「対比」は幾許かの必然性がある)、骨太の歴史書である。いまや、中国史や日本史でも、かなり定量的な考察が可能なのだなと目からウロコであった。それにしても、マルクス主義歴史学はほとんど滅びたようであっても、いわゆる「唯物史観」は却って徹底されているように思われ、マルクス主義歴史学もムダではなかったように素人目には見える。いまや、歴史学においても経済学的な考察力は必須であるのだなと思わざるを得なかった。もちろんいまの学者からすれば当然のことであるだろうが、いかにわたしの知識が古びているかがわかる。
 なお、第一部では「反日」の話はほとんど出てこない。かつての中国における「国家と民衆の乖離」がいかに日本の過去(江戸時代)と異なるかという記述がメインだと思う。それから、明・清の徴税システムの話。すごくおもしろい。

NML で音楽を聴く。■メシアンの「四つのリズムのエチュード」 ~ No.1 Ile de feu I, No.2 Mode de valeurs et d'intensités で、ピアノはピエール=ロラン・エマール(NMLCD)。■武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」で、指揮は小澤征爾ボストン交響楽団NMLCD)。これはわたしの精神の器が小さいせいであるが、自分は武満の音楽にもっとも謎めいたものを感じる。あと他に似たような音楽家を挙げればベートーヴェンであろうか。どこまで追っても先が見えない感じなのだ。何か世界の無限に接続しているとでもいいたい気がする。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十五番 op.132 で、演奏はフィッツウィリアム弦楽四重奏団NML)。

ほお、フィッツウィリアムSQ は NML にショスタコーヴィチ全集があるぞ。■スクリャービンのピアノ・ソナタ第三番 op.23 で、ピアノはドミートリー・アレクセーエフ(NML)。スクリャービンよりロマンティックな音楽は存在しない。
スクリャービン:ピアノソナタ全集 (Scriabin: Complete Piano Sonatas)

スクリャービン:ピアノソナタ全集 (Scriabin: Complete Piano Sonatas)

シベリウス交響曲第七番 op.105 で、指揮はコリン・デイヴィスボストン交響楽団NMLCD)。何かこの曲、突然終ってしまう。もっと長くてもよかったような気がするのだが…。演奏はすばらしく美しいところもあるし、いまひとつのところもあると思う。

シベリウスは長生きしたが、晩年の三十年間はほとんど何も作曲することなく過ごしたのだな。僕はシベリウスが好きだが、それはわたしの耳の保守性を示すものかも知れない。それに、アナリーゼができないこともあって、シベリウスの音楽の緊密性、独創性というものはわからない。ただ、好きというにすぎない。こういう感想は的外れかも知れないが、交響曲第五番やヴァイオリン協奏曲は、演奏者も聴き手も命を削るような音楽だと思っている。

シベリウスも自然を愛した音楽家だったな。