篠田一士『創造の現場から 文芸時評1979~1986』

日曜日。昧爽起床。

NML で音楽を聴く。■メシアンの「鳥のカタログ」 ~ No.9. La Bouscarle, No.6. L'Alouette-lulu で、ピアノはピエール=ロラン・エマール(NMLCD)。

二度寝してラクになったし気持ちよかった。昔、二度寝が好きでわざわざ目覚ましを朝四時くらいにかけて起きて二度寝するという生徒がいたが。
雨。

モーツァルト弦楽四重奏曲第十九番 K.465 で、演奏はクレンケ四重奏団(NMLCD)。■シェーンベルクの「浄められた夜」 op.4 で、指揮はジュゼッペ・シノーポリフィルハーモニア管弦楽団NML)。シノーポリの巨大かつ精緻な演奏でこの曲を聴いて、いろいろなことを思った。まさに表現主義の代表作のひとつであり、ここにはすべて効果しかない。これは真っ直ぐに現在に繋がるものであり、いまや音楽も映画もいったんバラバラにされ、解体して組み直されただけであり、それは創造ではないと坂本龍一さんは仰ったが、シェーンベルクがここでやっていることはまさしくその濫觴であろう。ここには巨大な計算があるだけで、出口がどこにもないのだ。たぶん、リヒャルト・シュトラウスですらここまできていないのではないか。まぎれもなく後期ロマン派の崩壊点であり、シェーンベルクがここから無調へ進んでいったのも当然のことに思われる。

Schoenberg;Pelleas&Melisand

Schoenberg;Pelleas&Melisand

シューベルトの「楽興の時」 D780 で、ピアノはファブリツィオ・シオヴェッタ(NML)。モーツァルトソナタを聴いて感心したので、これも聴いてみた。正直言ってわたしの汚れた精神ではピアニストの領域に入り込むのに多少時間がかかるのであるが、いったんこの世界に慣れてしまうといまこれだけのシューベルト(そしてモーツァルト)を聴かせるのはとてもむずかしいことを思う。静謐で誇張のまったくない音楽だ。モーツァルトソナタ全集を期待したいし、シューベルトは例えば即興曲集などどうであろうか。一見地味だが、わたしの密かに期待するところのピアニストである。

シューベルト : ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960 | 楽興の時 D.780 (Schubert : Piano Sonata D.960 | Moments musicaux / Fabrizio Chiovetta) [輸入盤]

シューベルト : ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960 | 楽興の時 D.780 (Schubert : Piano Sonata D.960 | Moments musicaux / Fabrizio Chiovetta) [輸入盤]

なお、シオヴェッタは NML ではまだあまり聴けないが、CD や MP3 Download ではさらにシューマンハイドンが聴けるようだ。NML でも待っております。■アルベニスの「イベリア」第四巻で、ピアノはクロード・エルフェ(NMLCD)。アルベニスってほとんど聴いたことがないけれど、このクロード・エルフェの「イベリア」はよかった。何でも青柳いづみこさんによると技巧的に至難の曲だそうで、だから録音が少ないのかも知れない。ラローチャの録音などが有名なのかな。何にせよ、聴き応えのある曲集である。


珈琲工房ひぐち北一色店。ひさしぶりだが、さすがにここのコーヒーはおいしい。最近はお客さんも多いようだ。当然だと思う。
篠田一士さんの文芸時評集の続きを読む。自分を鍛える鑢として読むのがいちばんよいようだ。いまの基準からいえば「古くさい」が、そうしたところで文学のすごい読書量である。ちょっとこんな人はいまはいないだろう。教えられることばかりである。それにしても、篠田さんを読んだ人はすぐ気づく筈であるが、この「私小説(わたくししょうせつ)全否定」の姿勢は苛烈であるね。いまの潮流はむしろ私小説熱烈肯定というところで、マイナーだった私小説家が文庫本で次々再刊行されるという時代だから(まあそれも一段落はしたようだが)、結局篠田さんの奮闘も虚しかったのかも知れない。もっとも、わたしは私小説はあまり読んだことがないので、よく知らないのですけれども。
 
散歩。何となくスナップした写真。
20190609200303
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猫を四匹も見た。


図書館から借りてきた、篠田一士『創造の現場から 文芸時評1979~1986』読了。感想はこれまでに書いているので省略。本書にきちんと索引がついているのはさすがである。なお、アマゾンには登録されていないようだ。 

真弓常忠を読む。