新藤宗幸『官僚制と公文書』

曇。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのフルート四重奏曲第三番 K.285b で、フルートはクリストファー・ハイド=スミス、カミングス弦楽三重奏団(NMLCD)。■ブリテン弦楽四重奏曲第三番 op.94 で、演奏はエマーソン弦楽四重奏団NMLCD)。


濱口先生へのインタヴューが、先生のブログに再録されていた。わかりやすくて勉強になるし、濃い内容が凝縮されているので、メモとしてリンクしておく。
eulabourlaw.cocolog-nifty.com
 
昼から県営プール。ひさしぶり。ゴツい奴らが泳いでいるなと思ったら消防の人たちらしく、一レーンの狭苦しいところでガンガン泳いでいるのにわたしはぼーっとしていて気づかなかったのだが、わたしの隣のレーンの常連の男性(話したことはない)が見かねて「こちらで泳ぎませんか」とわたしにいわれて気づいた次第。これで消防の人たちはもう一レーン使えることになり、よく気づかれたなと感心しまた反省した。わたしはニブかったな。ちんたら泳いでいるわたしを受け入れても下さって、ありがとうございました。


新藤宗幸『官僚制と公文書』読了。うーん、自分の能力ではすっきりわかったとはいえない本だった。現在の日本の官僚制はいわゆる「官邸主導」になっており、各省庁の高級官僚の任命権限を内閣官房直属の官僚(内閣人事局)が握っているという事態になっているらしい。つまりは、内閣府の官僚が絶大な権限をもつ構造になっている。これが安倍政権のやったことであるが、まさしく「政治主導」であり、民主党政権がやろうとしてできなかったことであるとして、むしろ評価されてもおかしくない筈である。著者は事実を見ると安倍政権のやりたい放題であり、安倍首相だからイカンという論調であるが、そこのところがいまひとつわかりにくかった。その結果として従来の官僚制が壊れ、首相や内閣官房への「忖度」も生まれるはずだと分析している。しかし、もともとは官僚主導国家であったのを政治主導にしたというのは、以前はまさしくそうあるべきだとされてきたことで、やはりわかりにくい。では、政治主導というのはまちがったスローガンだったのか。著者はそのようなことはまったく述べていないが、暗にそうとも受け取れる発言が本書にないわけではない(例えば「内閣府を解体すべき」という主張)。
 もっとも、わたしは著者がまちがっているとかいいたいわけでもない。本書から学べるところはわたしには多かったが、繰り返すけれども日本の官僚制が(わたしには)すっきりとわかったとはいえないのである。理解のためにはもう少し(あるいはだいぶたくさん)のお勉強が必要だが、さてたかがわたくしのごときがそこまでする必要があるのだろうかとは、ちょっと思うのだ。

官僚制と公文書: 改竄、捏造、忖度の背景 (ちくま新書)

官僚制と公文書: 改竄、捏造、忖度の背景 (ちくま新書)

ところで、本書でも使われているが、流行語にすらなった「忖度」という言葉、この文脈で使うのは誤用ではなかろうか。「忖度」というのは元々よい意味だったと思いますよ。相手の気持ちを推しはかるという。もうとっくに指摘されていることですけれども。いまや、「ゴマをする」「へつらう」みたいなニュアンスがついた言葉になってしまった。