津村記久子『ワーカーズ・ダイジェスト』

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第三番 BWV1005 で、ヴァイオリンはナタン・ミルシテインNMLCD)。■ベートーヴェン交響曲第七番 op.92 で、指揮はユッカ=ペッカ・サラステ、ケルン西ドイツ放送交響楽団NMLCD)。まあブラボーって拍手してもいいのだが、こう素直に流れるように演奏されるとこの曲はただの通俗曲である(もともとそうなのだ)。この曲は演奏で救ってやらないといけないので、そのためにはあの古くさい「精神性」とやらが要るのですね。そういうこと。■スカルラッティソナタ K.300, K.267, K.83, K.178, K.321, K.56 で、ピアノはエイラム・ケシェト(NMLMP3 DL)。


暑い。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。もっちりフルーツスティック シナモン+ブレンドコーヒー410円。津村記久子を読む。のっけからサラリーマンのつらい起床で話が始まる。重信君も奈加子さんも、お仕事大変ですね。わたしはそういう体験をしたことのないお気楽さんであり、そんなクソにはサラリーマンの大変さはわからんと叱られそうであるが、まあふつうの人(?)なら体験することのない地獄をわたしは見てもいるので、なんとかお許し頂けたらと思っている。それにしてももう小説は半分くらいは読んだのだが、まだお二人は再会しないのですけれど。そのうち再会して、もにょもにょされるのかな、うらやましいなとかバカは思っております。それくらいのいいことがなくては、働けないでしょうね。頑張って欲しいなあとか思いながら、以下続きを読む。

カルコス。ちくま学芸文庫の新刊がちゃんと入っていて一安心。岩波文庫新刊はもうあきらめました。今月のちくま学芸文庫新刊にはブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』が入っていますね。まあそれは買わなかったのだけれども、シブい本がお好きな方にはお勧めの超有名本である。十九世紀の古い本なので学問的にはもはや読めないし、世界的にも既にブルクハルトを読むのは変わり者だけであろうけれどね。ブルクハルトはスイスの文化史家たる碩学で、あの傲慢なニーチェが彼だけには認められたいと最後まで執着していた人物でした。誰も読まない、『ギリシア文化史』という大著もじつは日本語で読めます。『イタリア・ルネサンスの文化』は、わたしには極めてなつかしい本である。レクラム文庫版も持っているくらいです(もちろん読み通してなどいないが)。

 
図書館から借りてきた、津村記久子『ワーカーズ・ダイジェスト』読了。なるほど、重信君と奈加子さんが再会したところで終りですか。ここから小説が始まるのに。まあ、こういう終りだからハッピーエンドが暗示されているわけですね。結構でした。ごちそうさま。
 津村記久子さんは働く人に勇気を与えているのでしょうか。それとも慰藉を与えているのでしょうか。ちょっとわたしにはわかりませんが。わたしはまったく読めていないのかも知れませんね。いずれにせよ、おもしろいです。暢気な感想でごめんなさい。
ワーカーズ・ダイジェスト

ワーカーズ・ダイジェスト

とりあえず積ん読になっているバルファキスの『黒い匣』であるが、梶谷先生のブログでの感想(というか書評)を読んだ。本書のこれまで読んだ中ではいちばんおもしろい書評だった。『黒い匣』がわたしの能力を超えていることはわかっているので、恥ずかしいので皆さんが忘れた頃に読もうかなとも思っている。もし読めればの話だが。


あるブログの「おれは柿の木を救えない」というエントリに心動かされた。わたしもじつは樹を切り倒すのにはどこか悲しみを感じるのだが、いまや街路樹や公園の樹以外は、存在の正当性を主張するのはむずかしいことを知っている。樹は維持するのにコストがかかるし、落葉すれば落ち葉の始末をする必要があるし、台風などで倒れれば近所に迷惑になるといわれれば、そのとおりだと思う。わたしの家の近所でも、少しづつ大きな樹がなくなりつつある。じつはわたしの家は元々百姓屋なので、柿の樹が老木ながら健在である。これも、まだ老両親が元気で、ウチを維持していくことができるからだ。息子がこのように甲斐性なしであるから、将来の見通しは明るくない。わたしの最後も、柿の樹の最後も、同じような時になるかも知れないと思う。いや、それなら上等であろう。それすらもむずかしいのかも。

ウチの近所にはこの何年間で新しい家がじつに増えた。人口増加でまずはよろこばしいところである。そして、新しい今風の国籍不明の家には、ことごとく樹も花壇もない。本当にことごとくそうで、これはわたしの大発見としてノーベル賞級だと思っている。たぶん、忙しくてそれらを維持していくヒマがないか、それとも生命力に対する潜在的な嫌悪か、理由はそんなところか知らん。花があれば虫はつくし雑草は生えるし肥料はやらないといけないし、それらへの対処など気持ち悪くてできないのかも知れない。まあ何だか知らない、新しい住民にすればそんなことはどうでもよい筈であろう。わたしも別にそれを非難などするつもりはない。そんな傲慢な人間ではないつもりなのだ。