福田和也『平成批評』 / トルーマン・カポーティ初期短編集『ここから世界が始まる』

晴。

明け方まで起きていたので昼まで寝る。さすがに起こされた。

福田和也『平成批評』読了。じつに下らない本でまったく賛成できないが、福田和也らしい。しかし、自分も時代遅れだが、福田和也の時代遅れぶりも甚だしいものだ。ここまで時代遅れだと、いっそすがすがしいくらいである。福田和也には、いまや「人間らしい感性」というものがことごとく崩れ去り、二度と回復しないことがわかっていない。無理に希望を持とうとしている。それゆえ、本書に(わたしには)感動的な部分があることも、また否定できない。いずれにせよ、右翼にふさわしい、愚かしい本だ。もはや、よいものによって育まれた豊かな感性と深い学識があっても、いや、あるがゆえに、こういうものを書いてしまうのであるな。

福田和也自身が書いているとおり、かつて出された彼の著作は売れたものもあり、さほどでなくても力作でそれなりの人たちの話題になったが、本書がそのような地位を占めることはおそらくないであろうとわたしは予想する。福田和也が変ったのではない。時代が変ったのだ。いまでは、福田和也がどれほど力んでも、さらりとスルーされるだけのことである。

それにしても、アメリカが内部から腐敗しつつあることに彼が気づいていないというのは、ちょっとどういうものなのであろうか? 確かにアメリカはいまでもスーパーパワーであることにはちがいがない*1。しかし、根底から病みつつあることに本書でまったく言及されていないというのは、それがあまりにきれいさっぱりそうなので、何か自分がまちがっているのだろうかという気がするくらいである。福田和也には、何故経済学という幼稚な学問がいま最強なのか、わかっていないように見える。そして、経済学というのはまさにいまのアメリカなのだ。

そしてもうひとつ。福田和也は(気づいていないとは思えないのだが)現在日本はアメリカの属国である(これはもはや紋切り型としかいいようのないほどの事実である)ことに、本書で一切明示的に言及していない。これがいまの右翼なのか?

夕方、散歩。何となく撮ったものばかりですが。
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図書館から借りてきた、トルーマン・カポーティ初期短編集『ここから世界が始まる』読了。小川高義訳。おもしろかった。昨日も書いたが、カポーティの習作である未発表短篇集である。村上春樹の解説を読んでいると、自分がまるで小説が読めていないのにちょっとがっかりするが、それは措いても優れた作家による解説というのはありがたいものだ。カポーティの「天才ぶり」をモーツァルトと対比しているなど、へえと思う。カポーティは 60歳の直前まで生きたが、作家としての「天才ぶり」は、34歳の『ティファニーで朝食を』までだという(ちなみにモーツァルトは 35歳で死んだ)。あとは、それまでの蓄積で何とか書いていったと、村上春樹は結構はっきりと書いている。アルコールやドラッグに手を出しながら。
 自分が本書を読んでいちばん感じたのは、非常に上手いが、人生の理解がそれこそ頭でこしらえたものように見えるということである(村上春樹は、マテリアルのおもしろさだけで書いていると述べている)。もっともこれは、わたしのごとき「人生」というものと関係のあまりない人間のいうべきことではないかも知れない。わたしの「人生」理解も多分に頭でこしらえたものであるが、一方でそれゆえにこの習作たちの欠陥が見えるということがあるのだろうか。いずれにせよ多少の平板さを感じるが、まだせいぜい20代の始めの作家であるとすれば無理もなく、それでもやはり上手いともいうべきか。村上春樹のいうとおり、カポーティは「お話」を書かずにはいられなかった人なのであり、カポーティ自身にいわせると「8歳から作家だった」そうだ。なるほど、そういう人の「習作」なのだなと思う。

*1:福田はアフガン戦争やイラク攻撃におけるアメリカの圧倒的な軍事力を強調する。しかしまちがえていけないのは、アフガン戦争では結局アメリカは泥沼に陥って撤退し、イラク攻撃は中東情勢を手に負えない混沌に陥れてしまった。そして、アメリカの民衆はそのことに気づかないくらい蝕まれている。