こともなし

晴。
夢の不思議。昔『BE FREE!』ってマンガがあったけれど(知らないだろうなあ…)、まるでそれみたいに学校の先生をやる夢を見た。ちょっと信じられないくらいおもしろい夢だった。あんまり強烈だったので、荘子じゃないけれど、いまの人生が夢みたいな感じがするくらい。途中で目が覚めてまったく残念。しかし、空想的ではあるけれどこんな辻褄のあった夢を見るなんて、あり得るのだなあ。コウルリッジみたいに、このままマンガにできそうなくらいだ。長い夢だったし。僕は実際に先生はやったけれど、こんな先生ではまったくなかったなあ…。


開高健は日本の文学には笑いがないとくさしたけれども、開高自身が豪放磊落っぽいけれど内実はきわめてマジメで繊細な人で、笑える文章も実際はほとんどないと思う。じつは、おそらく開高が敵視していたであろう小林秀雄には、笑える文章が結構あるのだよなあ。まあくだらんだけという話もあるが。

僕はマジメなので、笑える文章は書けません。ところで、かつて『トリストラム・シャンディ』とか翻訳で読んだけれど、ギャグが寒すぎてとても笑えるどころではなかったのだが。うんざりした。あれで笑える人っていったい何なのという感じ。まあ、翻訳だからいけないのかも知れない。(しかし、朱牟田夏雄先生による名訳(たぶん)ですぞ。)


NML で音楽を聴く。■ハイドン弦楽四重奏曲第二十五番 Hob.III:32 で、演奏はジュビリー四重奏団(NMLCD)。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第七番 op.59-1 で、演奏はカザルス四重奏団(NMLCD)。■フランクの「前奏曲、コラールとフーガ」で、ピアノはミシェル・ダルベルトNMLCD)。ダルベルト、かなり頑張っているな。■フォーレノクターン第四番 op.36、第五番 op.37、第六番 op.63 で、ピアノはエリック・ル・サージュ(NMLCD)。よい。


何にもやる気がしないので(再構築中はこういうことはある)ぼーっとツイッターを見ていたら、東大入学式における上野千鶴子さんの祝辞がたくさん話題になっていた。はて、上野さんってもう東大教授ではないのだけれど(もちろん名誉教授ではある)、祝辞を述べたのだな。ツイートを見物していると、disっている人(偉い人(東大出身も含む)に多い)、余裕綽々でうがったことを述べている人(これを題材に自分のかしこいところを見せたい系)、素直に賛成あるいは感動している人(たぶん東大にあまり関係のない人が多い)とか、いろいろあるなあと思った。何、僕の感想? 東大の新入生でもないのに、感想なんかあるかいな。敢ていうなら、上野千鶴子さんらしいところはあるとは思ったけれど、それにしてはそれほど毒はなかったので、やはり祝辞ということは意識しておられるなあくらいの感想でしょうか。ただ、東大生の男はモテるとか、実際そうなのだろうけれど、いやまちがいなくそうなのだけれど、何なのそれはとは思いました(まあ御愛嬌か)。それから、話題になった「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。/恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」って部分は、どうしようもなく甘すぎるけれど、別に悪い言葉ではないでしょ。
 おもしろかったツイートとしては、上野千鶴子さんの主張はどう読んでも東大理三(≒医学部)の入試で不正があったというそれとしか読めないというもので、僕もこれはそうとしか読めないと思います。東大理三に理解力があるならもちろん反論すべきでしょうが、まあ自分にはそんなことはどうでもよいですけれど。

まあ普段ならこんなことは話題にしないが、いまは頭がバカなので。そのうちかしこくなります(え?)

これは祝辞とは関係がないけれど、上野千鶴子さんて昔はちょっとわけのわからないところのある怒りを撒き散らしていたのだが(そこに強いテンションがあった)、このところ(というか東大教授でなくなってから)本当にまるくなって、知的な緊張感が失われましたね。かつての上野さんならば考えられない緊張感の欠けた言葉を吐いて、弟子(北田さんである)に厳しく咎められ、誤りを認めて主張を撤回したりしている。まあ、そこで自分の非を認められるところはさすがに腐っても上野さんだと思いますが。僕はかつての著書でまだ読むつもりの本はあるが、最近の本はいまのところ読むつもりはありません。

それから、これは書くか迷ったけれども、書いておきましょうか。上野さんが最近主張している「反成長主義」は、弱者にきびしく強者にやさしい立場であると理解されることがあります。わたしは経済の専門家ではありませんが、その判断は正しいものと考えていて、強者でない自分は「反成長主義」には反対します。社会全体の受け取るパイが小さくなると、弱者の受け取る部分がクリティカルにダメージを受けるのです(そのことは、平成史からも実証可能であると考えます)。その意味で、わたしは上野さんはいまや反弱者の立場に立っていると理解しています。

もう少し書きますか。これは上野さんとは関係ありません。「反成長主義」を支持する意見として、そういつまでも経済が成長するなどあり得ない、それはムリなのだから、成長を前提としない社会を作るしかないというものがあります。これはかなりもっともらしい意見で、むしろ最近ではそう考える人の方が多いくらいかも知れません。まあ、いつまでも経済が成長をするなどあり得ないということは別に証明されたわけではないのですが、仮にそれが正しいとなると、困ったことに弱者はどうしても苦しくなってしまうのですね。いまのところ、弱者には経済の成長があるのがいちばんよいということが正しいらしい。つまり、ムリでもなんでも、弱者にとっては経済は成長してもらわないと困るらしいのです。しかしまあ、将来は「弱者は生かさず殺さず、できるだけ搾取してやれ」という時代がくるような気もわたしにはしますが。いや、既にそうなりつつあるのかな。上野さんもそうおっしゃっていますからね(ちがうか)。それとも、「成長を前提としない、弱者にもっともやさしい社会」が来るだろうという、一発逆転ホームランに賭けますか。賭け金は弱者の命でしょうかね。いやはや、立派なものだ。

言っておきますが、「弱者にやさしい社会」へはどんどん進めたらよいのですよ。別にそれはこれっぽっちも否定しません。それには、累進課税を強化し、強者から金をむしり取ることです。まったく、かつてからどれほど累進課税が骨抜きにされたか。というと金持ちは文句をいうでしょう。だから、「弱者にやさしい社会」なんて、これからはほとんどあり得ないのですよ。日本は現在、(あまり知られていませんが)世界の中でも貧富の格差のきわめて大きな国です。そして、日本の財政が破綻するというウソ(エラそうなことが言いたい人は、経済を学ぶ学生くらいは勉強すべきでしょう)によって、逆進性のきわめて強い消費税の増税がなされようとしているのがいまですね。その帰結として、景気は悪化するでしょう。ま、これは他人の意見ですけれどね。わたしは支持します。