山尾悠子『歪み真珠』 / 渡辺靖『リバタリアニズム』

深夜起床。

山尾悠子『歪み真珠』読了。

歪み真珠 (ちくま文庫)

歪み真珠 (ちくま文庫)

 
曇。
NML で音楽を聴く。■シューマンの「森の情景」 op.82 で、ピアノはレオン・マッコウリー(NML)。なかなかのもの。

シューマンの「幻想小曲集」 op.12 で、ピアノはレオン・マッコウリー(NML)。うん、これもなかなか。■ドビュッシーの「十二の練習曲」で、ピアノはジュリアン・リーム(NML)。これはすごいものを聴いてしまった。これまでこの曲集には、自分には決め手となる録音がなかった。ポリーニは技術的にはともかく、既に壊れ始めていて演奏にうるおいがない。内田光子は音楽的にはともかく、技術的な爽快さがまったくなく、スケールが小さい。と(自分には)そんな感じだったのだが、このリームという知らないピアニストの演奏には感じ入った。まずは演奏のスケールが大きく、これがこの曲には不可欠である。(たぶん)ものすごくむずかしい曲集だが、余裕をもって弾かれている感じで、パワーも充分。それに、この曲はドビュッシー最晩年のもので、かなり音楽が抽象的になっているのだが、そういうところも、また後半の曲の繊細なところもうまく表現していて、とてもおもしろかった。ドビュッシーの中でも画期的な曲集という知識はあったのだが、初めて実体験が追いついたというところである。まあこの曲集がすばらしかったといって他のものがどうかはわからないのだが、とにかくこれはよかった。自惚れているわけではないが、あなたにこれがわかるかと、ちょっと挑発してみたいような稚気に駆られるくらいである。
Debussy / Szymanowski

Debussy / Szymanowski

 
何かこのブログにはあんまりマジメでむずかしいみたいなことを書いているようだが、じつはかわいい女の子のハダカとかよろこんでしまうただのキモいおやじなので、おまちがえのないように(ってまちがわんか)。Tumblr からエロは追放されてしまいましたが。つまらんことをするなあ。


ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ガナッシュチョコホイップ+ブレンドコーヒー388円。武満徹の評伝の続き。これは元気の出るすばらしい本だ。我々の時代がかなしく思われてしまうのは余計だが。浅香さん(武満の奥さん)によれば、武満は「今日よりも明日のほうがいい日になると信じてた」そうであるが(p.157)、これには感動させられた。まさにこれであり、これはわたしとは正反対であろう。わたしだって別に、今日より明日の方が、明日よりも明後日の方が状況は悪くなると信じたいわけではない。自然とそう思うようになっただけであり、たぶん子供がいる人ならそんなことは思わないかも知れない。また、若い人なら、どれだけ絶望しているように見えても若さそのものは確実に肯定的なものだ。わたしもまた、武満のように信じられる日が来ることをほんとに祈っているのである。

渡辺靖リバタリアニズム』読了。非常におもしろい本だった。著者はあとがきで、「私がリバタリアンかといえば、おそらく違う」(p.201)と言っているが、本書はリバタリアニズムの「欠点」にも踏み込むけれど、基本的にリバタリアニズムを肯定しているといっていい。著者はリバタリアニズムを簡単に、自由市場・最小国家・社会的寛容の価値観で説明していて、確かに論理的に考えると、リバタリアニズムの価値観はなかなか反駁がむずかしいものであるとわたしにも思われる。もちろんリバタリアニズムへの反論として福祉や治安の問題を挙げることは簡単であるが、またリバタリアニズムによるそれらへの反論もまた簡単におこなえる。またリバタリアンというと裕福な(傲慢な)白人層という印象があるが、著者はそれは必ずしも当たらないことを「実例」と「実感」を挙げて否定してみせる。少なくとも自分には、リバタリアニズムは「理性」にかなり合致したイデオロギーであると思われた。
 本書で印象的だったのは、「高潔さ(character)を失った人間は自らの自由も失うのです」(p.80)というあるリバタリアンの発言である。また著者はいわゆる「トランプ旋風」は「大衆迎合主義」の意味でのポピュリズムであるということも言っていて、これらから考えるとリバタリアニズムは「高貴な人間」の思想であるといってよいように思われた。さて、ほとんどの人間は「高貴な人間」なのかも知れないが、人間の中には「人間のクズ」もいるし、わたしなどはどちらかというと後者に近いのが気になる。これは格好つけのレトリックなどではない、わたしは誰かが金をくれて、あるいは何らかの条件で働かなくてよいなら、働きたくないという人間であり、これはふつうに「人間のクズ」とされる考え方であろう。困った困った、まあ「クズは死ね」というのも一理あるし、実際に頻繁にネットでも拝見する考え方であって、あーあという感じだ。まあ、あなたは人格高潔なお人なのでしょうし、それを疑うわけではないのですがね。とにかく困るわ。

しかし、理性っていうのは厄介だな。理性ってのは一種の暴力でもあり、理性に従わないということは許されない。そして、すべての人間が理性に従って生きられるわけでもない。あーあ、ヤンナッチャウナ、てなもんだ。

それにしても、どうしてこう立派な人間ばかりいるかな。ネットを見ていると、立派な人間ばかりであり、誰もがクズを罵っている。自分もそうかも知れない。いやはや、とんでもない時代だ。