若松英輔『苦海浄土 悲しみのなかの真実 石牟礼道子』

晴。

NML で音楽を聴く。■ハイドンのパルティーヘ短調 Hob.XV:f1 で、演奏はトリオ1790(NMLCD)。■モーツァルト交響曲第二十八番 K.200 で、指揮はフランス・ブリュッヘン18世紀オーケストラNMLCD)。よいな。■モーツァルト弦楽四重奏曲第二十番 K.499 で、演奏はアレクサンダー弦楽四重奏団NML)。

Apotheosis V1

Apotheosis V1

シェーンベルクの五つのピアノ曲 op.23 で、ピアノは廣田洋子(NML)。シェーンベルクのピアノ作品集であるが、op.19 と op.25 がなく、代わりに「十七のピアノ断章」という知らない作品が入っている。さて、現代の演奏であるから既にシェーンベルクが完全に消化された上で弾かれているのは当然である。このような演奏で聴くと、シェーンベルクはもはや古拙な味わいすらもった、どちらかといえばシンプルな音楽に聴こえるのが今だなあと思った。特にロマンティックに演奏されているわけではないけれど、シェーンベルクが後期ロマン派の延長線上にあることがよくわかる。そしてその音楽的な魅力も。シェーンベルクは決して無味乾燥な音楽を書いたのではなかった、当り前のことだが。
Schoenberg: Piano Music

Schoenberg: Piano Music

 
日本の景気が確実に悪化してきている。様々な指標がそのことを示しているので、それはほぼ事実であるといってよいだろう。そこに中国経済の減速が加わり、ちょっとどうなるか予想がつきにくくなってきた。そこに消費増税が来るのか。
なお、これは他人の意見の受け売りである。それを自分で正しいと判断したにすぎない。そのことはお断りしておく。


昼から県営プール。風強し。

ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。もっちりフルーツスティック ハニー+ブレンドコーヒー410円。図書館から借りてきた、若松英輔苦海浄土 悲しみのなかの真実 石牟礼道子』読了。なかなかよい本。石牟礼さんへのよき導入になるのではないか。水俣病患者であった方が「チッソというのはもう一人の自分だった」(p.125)と言われたことを書いたのもよかった。これはどういうことかというと、チッソを糾弾するのはやさしい。けれども、自分がチッソの社員であったらどうか。彼ら彼女らと同じことをしたのではないかという思想である。わたしはこれは、現代日本において重要な考え方だと思う。例えばわたしにしても、仮に東電の技術者であったらどうか。東電の技術者は、津波原発の電源が失われる可能性を肯定し、それを上司に告げるところまではした。しかしそれが取り上げられなかったとき、それ以上何もすることはなかった。以上はうろ覚えで書くので正確ではないかも知れないが、あくまでも例として提出するに、わたしが東電の技術者だったら、彼あるいは彼女と同じことをしなかったと考える方がむしろおかしい。その意味でわたしもまた、恥ずかしながらもう一人の東電であるといえる。まさに人間のクズであるが、この認識がいまの日本人に欠けている、大きな部分であると私は思う。決してなおざりにしてよい問題とは思えないが、これは子供の時からこういう考え方を叩き込んでいないと、もはやムリだ。ツイッターやブログなどでエラそうに正しいことばかり言っている人たち(わたしも含む)に欠けているのが、まさにこれだと思われる。そして余計なことを書けば、これが克服される日は、おそらく日本には来るまい。そんな風に、敗北主義的にわたしは思っている。

単純に問いたいが、水俣病はいまだに終っていないことを、あなたは知っているか? そんなことをいうのはパヨク(という言葉も使われなくなってきたが)だけだと思っていないか? 自分は何となく、絶望的な感じがしている。わたしの敗北主義は、そこに起因する。

帰りにカルコスに寄る。おもしろそうな新書本を探すのがじつにむずかしくなったな。そもそも、何でこんなに本が出ているのだろうと思う。まあ、わたしの精神が硬直化してきただけだろうが。

ちょっとマジくそ真面目すぎるので、いろいろ下らぬことをしております。