福島紀幸『ぼくの伯父さん 長谷川四郎物語』 / ホルヘ・ルイス・ボルヘス『夢の本』

晴。

NML で音楽を聴く。■スクリャービンの十二の練習曲 op.8、二つの詩曲 op.69、三つの練習曲 op.65、他で、ピアノはドミートリー・アレクセーエフ(NMLCD)。op.8-12 とか好きだなあ。何でスクリャービンがこんなに好きなのだろう。まあ、ロマンティカーだね。■ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第二番 op.5-2 で、チェロはヤーノシュ・シュタルケル、ピアノはジェルジ・シェベーク(NMLCD)。
 
HTML5 の audio タグ遊びがおもしろいので、スクリャービンの練習曲 op.42-5 を貼っておきます。ピアノはスヴャトスラフ・リヒテル

メシアンの「鳥のカタログ」 ~ 第六曲 モリヒバリ、スクリャービンのピアノ・ソナタ第二番 op.19、モーツァルトの幻想曲 K.397 で、ピアノはクララ・ミン(NML)。まったく知らないピアニストであるが、選曲の巧みさに唸らされて聴かざるを得なかった。選曲はメシアンの「鳥のカタログ」から二曲、スクリャービンの二曲のソナタと「炎に向かって」、それにモーツァルトの K.397 というもので、それも配列が対称的なサンドイッチ構造になっている。とりあえず半分聴いたが、選曲の妙は見事に効いていますね。ピアノの音が甘美で、特にスクリャービンは絶品である。若いピアニストなのだろうか、ここまで聴いただけで将来性を判断できるほどの耳はわたしにはないけれども、これだけ個性的な音はなかなか稀でしょう。もちろん技術も問題ないと思う。残りを聴くのが楽しみ。

Evocation

Evocation

検索してみたところ、クララ・ミンは韓国の若いピアニストで、いまアメリカで売れているとのこと。これまで出ているディスクはほぼ NML で聴ける感じですね。


昼から米屋。肉屋。

ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。もっちりフルーツスティック シナモン+ブレンドコーヒー410円。図書館から借りてきた、福島紀幸『ぼくの伯父さん 長谷川四郎物語』読了。ついに読み終えてしまったかという感じ。あんまり下らぬ感想とか書きたくもないのであるが、まあ少しだけ書くか。本書は長谷川四郎の評伝というべきだろうが、長谷川四郎自身の文章が(意図的に)かなり引用してあって、わたしのように長谷川四郎をよく知らない読者には格好の長谷川四郎入門だったとしてよいと思う。そしてここに浮かび上がってくる長谷川四郎という人は、わたしにはじつに魅力的なのだが、わたしはまあそんな貧しい言葉しか持ち合わせがない。とにかく、これから(ぼちぼちではあろうが)長谷川四郎を読んでいくのは間違いないのじゃないかな。それから、本書を読んでいると、じつに多士済々であるなあと、ちょっとその時代がうらやましいような気もした。まあ、わたしが現代の才能たちをよく知らないせいもあろうが。いろいろ読んでみたい人が増えたのであるが、それはここには書かないけれど、花田清輝だけはちょっと挙げておこうかな。僕は花田清輝とは正反対のような人間なのであるが、そんなに読んでいないわけでもないし、きらいでもない、というかかなり好きである。あの、独特のスタイリッシュな文章が特に好きなのですね。でも、たくさん読んだというわけではないし、もう長いこと読んでいない。本書を読んで、図書館で花田清輝を探してみようかなという気になりました。
 しかし、ちょっとだけ思ったけれども、いまの時代だったら、長谷川四郎のような人はまったく表に出てこないでしょうね。誰も理解せず、歴史の闇の中に消えていくだけだと思う。だから、まだ具眼の士が少なからずいたかの時代は、長谷川四郎にとってはよかった。様々な理解者がいたからこそ、全集まで出たのでしょう。いまは、ホンモノは忘れられ、よいものは消えていく時代であることをわたしは確信している。あまりにも悲観的でありましょうか。けれども、現実を見つめねば、それこそ何ともしようがないのだ。
 いや、つまらぬことを書いた。じつは図書館でさっそく長谷川四郎の文庫本を借りてきています。それにしても文庫本の人である筈の自分がまったく見落としていたのだから、わたしの目もどうも大したことはないものだ。

ぼくの伯父さん: 長谷川四郎物語

ぼくの伯父さん: 長谷川四郎物語

 
時代遅れの人間の繰り言。ただそれであるな。


モーツァルト弦楽四重奏曲第十四番 K.387 で、演奏はアルバン・ベルク四重奏団NMLCD)。■松平頼則(1907-2001)のピアノ・ソナタで、ピアノは野平一郎(NML)。

松平頼則 ピアノ作品選集

松平頼則 ピアノ作品選集

 
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『夢の本』読了。堀内研二訳。ボルヘスによる夢に関するアンソロジー。わたしのもっとも好む類の本である。