『吉本隆明全集 12』 / 熊沢誠『過労死・過労自殺の現代史』

二時間ほどで昧爽起床。

寝る前に、図書館から借りてきた『吉本隆明全集 12』読了。

吉本隆明全集〈12〉 1971-1974

吉本隆明全集〈12〉 1971-1974

また寝る。だいぶ寝てしまった。

晴。
NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第三番 BWV1005 で、ヴァイオリンはヤッコ・クーシスト(NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第八番 op.13 「悲愴」で、ピアノは園田高弘NMLCD)。何というマジメ一本の演奏。むしろ新鮮に聴こえる。園田は決して天才ではなく、抜群の秀才であったというべきだが、それをマジメ一本の方向に発揮した人だったな。侮られるわけである。でも、わたしは好きだ。

曇。
カルコス。「すばる」だったか何かの関川夏央さんによる橋本治追悼の文章を立ち読みしにいったのだが、どうやら文芸誌はもはや「群像」しか入らないようだ。まあ立ち読みで済ませようという根性がいけないのかも知れない。それに、たぶん文芸誌など誰も買わず(わたしも買わない)、書店にとっては邪魔ということもあるだろうしな。

ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。もっちりフルーツスティック シナモン+ブレンドコーヒー。先ほど買った『過労死・過労自殺の現代史』という岩波現代文庫本を読む。著者の熊沢誠という人は労働問題ではとても有名な方らしく、つまりは大御所的存在ということであるが、本書は「神は細部に宿り給う」の精神で、過労死・過労自殺の具体的ケースを詳細に記録していったものである。まるで「一兵卒」の仕事のような、地味で愚直なそれであるようで、ちょっとおもしろいなと思う。目をしょぼしょぼさせながら第五章まで読んだ。もちろんわたしは素人なのであるが、なるほど具体例といっても、過労死・過労自殺の一般論が推測できないものではないなと思った。まあ読んでいない人にはこう言ってもわからないだろうけれど、例えば会社ってなんなの、労基署(労働基準監督署)ってなんなのと、情けない気持ちになってくる。労働組合だって、あなたが過労死しても遺族を助けてくれるとは限らない。結局この問題に粘り強く対応できてきたのは、一部の弁護士たちの力が大きかったのかなと思う。意外だったのは、裁判所が必ずしも理不尽な判決に終始しているわけではないことで、理解のある裁判官も少なくなかったのかなという印象である。(さて、これらの理解で正しいのでしょうか。)ここまで読んできたところでは、政治・政治家の話はほとんどない。まあ、そういう本でもないのだろうが。それにしても、一般論で主語が大きくなってしまうが、日本人ってなんなのかと考え込まざるを得ない。ここまで働かせる方も働かせる方だが、死ぬに至るまで働いてしまうのも何なのと思う。もちろん、会社を辞めたら「一般人」じゃなくなってしまう、つまりは負け犬の人生になってしまうという恐怖も背後にあるのだろうが、多くの人が「他人に迷惑をかけてはいけない」という理由で働きすぎてしまう。その「他人」というのは同僚でもあるし、会社でもあるし、あるいは取引先かも知れない。しかし、そんなに忠誠を尽くした会社が、あなたの過労死後、いかにあなたを評価せず、遺族に冷たいことか、あなたは知らないのだ。結局、(また主語が大きくなるが)日本人には「人間らしく」という発想はないのだから、自分の命は自分で守るしかない。残された家族は、むしろお金がなくとも、お父さんに生きていて欲しかったと思うに決まっているのである。さらに読む。

しかし、わたしなんぞがこういう本を読んで、いったい何になるのかとは思う。それでアクションを起こすというほど立派な人でも何でもないのだから。でもまあ、ファクトくらいは知っていてもいいかなと思うのではある。役立たずな独身中年ニートだって、市民の一員にはちがいないから。

夕飯でゆでたまごを食った。美味。ついでにアイスバーも食った。カロリー制限中の筈なんだけれどなあ。


熊沢誠『過労死・過労自殺の現代史』読了。副題「働きすぎに斃れる人たち」。夕食後三時間ほどかけて(少し休憩を挟んだが)、400ページ以上ある文庫本を読み切った。そうせざるを得なかったのである。しかし、さて何を書いたものか。読みながらブログに書こうかなと思っていたことはほぼ尽く終章の結論部で論じられていたので、それらに関してはいうことがない。それにしても、学術書として読むなら変った本だ。というか、労働問題の専門家の読むところの本なのだろうか。むしろ、我々一般人こそが読み得る書物ではないかと思う。学問的な分析と意見陳述の書というよりは、学者が書き、学者が読んでもよいレヴェルの「お話」といいたいくらいなのだ。「お話」というのは蔑視していうのではなく、いやとにかく、つらいけれど、過労死・過労自殺した人たちとその家族の絶望を、延々と読んでもらいたいものだ。じつに低レヴェルな感想で申し訳ないが、何でこんなことになっているのだろう。わたしは早くから一般社会よりドロップアウトしてしまったので、残念ながらいわゆる「会社」で働いたことがない。まあ自営業者みたいなものだった。なので、本書の内容は、頭ではわかっても、異様な感じがどうしてもする。妻があなたはもう会社を辞めてもよい、わたしも働くからといってくれているのに、辞められず過労死・過労自殺してしまう。残された人たちの話を読んでいて、こちらも本当につらかった。つらいのは死んだ人だけでないのだ。そして、遺族に対して、よくもそういう(ひどい)ことができるものだというような仕打ちが、会社や労基署からされる。そりゃ、会社や公的機関の立場というものもあろうが、立場でそんなことになるのだ。自分もそういう立場ならそうなのだろうかと思うと、謎めいた「日本型システム」が恐ろしくて仕方がない。
 わたしはいまことさらセンチメンタルになっていてよろしくないのであるが、しかしわたしには何が何だかよくわからない気持ちも強い。著者の一応の対応策(?)は労働組合があってしかるべき本来の役割を果たすことであるとされるが、そこらあたりのことは自分にはよくわからないし、また自分が気になっていることもそういうことではない。けれども、うまく言語化もできないので、ただ、ここには日本という国、あるいは日本人というもののある種の真実が、隠伏しているように思われる。労働問題は、そのあたりに繋がっているような気がするのだ。いまや日本政府と企業は外国人労働者を大量に日本に入れるつもりで、この種の悲劇が今度はそこで起こり、日本は国際的な非難と隣人たちの喪失を経験することが既に見えている。ほんとうに、日本人(あるいは「日本型システム」)には「人間らしく」という発想がない。まったく、これで国に誇りを持てという方が、どうかしているのだ。

しかし、もしあなたがそういう(死にそうな)立場にあったら、逃げるしかないとわたしは思う。安易にドロップアウトがよいとはまったく言わないが、死ぬよりはマシなのではないかという気がしてならない。クズだって生きていてよいと、わたしは思うのだが。文明の進歩なんていうものがあるとすれば、まさにそれ、どんな人間でも生きていていい、なのではないだろうか。

ちょっと口を回らせすぎた。労働問題については素人なりにもう少し読んでみたいと思っている。