小沢信男『東京骨灰紀行』

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第二番 BWV1004 で、ヴァイオリンはヤッコ・クーシスト(NMLCD)。すばらしかった。シャコンヌの冒頭はさすがに意識しすぎでぎこちなかったが、演奏に乗るにつれて気にならなくなった。いまだって、すばらしい音楽家はいるじゃないですか、ほんと。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十二番 op.26 で、ピアノは園田高弘NML)。

コルンゴルトのヴァイオリン・ソナタ ニ長調 op.6 で、ヴァイオリンはデトレフ・ハーン、ピアノはアンドリュー・ボール(NML)。コルンゴルトすごいな。未知の領域だ。
Korngold: The Complete Music for Violin and Piano

Korngold: The Complete Music for Violin and Piano

■アレクサンドル・モソロフ(1900-1973)のピアノ・ソナタ第二番ロ短調 op.4 「古い手帳から」で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。僕は野平さんの射程がどこまであるか、よくわからないのだが。どこまで行ってもその奥があるという。すごいピアニストがいるものだなあ。

自分はこれまで、ツイートはともかく論説では田中秀臣氏の学問をそれなりにリスペクトしてきたのだが、ついにこのところ氏は論説でも自分のよくわかっていないことに口を出し始めた。堕落である。どうも韓国海軍の「レーダー波照射問題」あたりからそんな風になってきたのだったな。エラそうな人というのは結局自分を過信して、こうなることが多い。また信頼する学者をひとり失ってしまった。残念なことである。

人間は堕落するのはいとも簡単だな。桑原桑原。人ごとではない。

ゆでたまごが食べたいなあ。

散歩に行こうと思っていたら雨が降ってきた。


シュニトケのチェロ・ソナタ第二番で、チェロはヴィヴィアーヌ・スパーノゲ、ピアノはヤン・ミヒールス(NMLCD)。■シュニトケの「音の手紙」、「オレグ・カガンの思い出に(チェロ独奏版)」、「インプロヴィゼーション」で、チェロはヴィヴィアーヌ・スパーノゲ(NMLCD)。■ジョン・ルーリー(1952-)の「Stranger than Paradise」で、演奏はバラネスク四重奏団(NMLCD)。


夕食後、性懲りもなくネットを見ていてつくづくうんざりしたので、のでというわけでもないが小沢信男さんを読む。読んでいて寝てしまい、深更起床。続けて読む。図書館から借りてきた、小沢信男『東京骨灰紀行』読了。有象無象世にはばかり煩悩の限りを尽くしたれどもなべては骨灰に帰す、ならば一掬の水でも手向けんという趣旨でもあろうか。日本語には掃苔(我が Linux Mint の mozc では変換できないので単語登録してやった)というゆかしい言葉があるけれど、歴史の掃苔ということはさすがに東京でなければ格好がつかない。しかし、それもバブル時代以降の東京なのだ。わたしの長らく愛読しているあるブログにおいて東京は立派な首都であり、これを見ると日本もまだまだ大丈夫であるという感想が時に述べられることがあるが、そんなものなのであろうか。それはともかく日本が近代化して首都が東京となってから既に150年以上、それなりに歴史を重ね、積み重なった骨灰も膨大なものになった。本書の最後で語られる関東大震災東京大空襲のふたつはやはり圧倒的で、確かにこちらも頭(こうべ)を垂れて黙祷でもしたくなる凄惨な出来事であった。しかし、日本はこれらからは立ち直ったのである。わたしはいまや東京は知らず、日本全体が象徴的に焦土と化して二度ともとに戻らぬような錯覚を覚えることがある。まさに国やぶるのである。そんなことを書いている自分もそのうち骨灰と化し、幾重にも堆積する地層の奥深くに眠ることになるのであろう。そしてなべてこの世はこともなし。さっぱりとしたものであるな、悠久の時の流れというものは。

東京骨灰紀行

東京骨灰紀行