ヘルマン・ブロッホ『ウェルギリウスの死』

早起き。深夜起床。
格闘技の夢を見ていた。自分としてはめずらしい夢だが、「男の子」だったときは格闘技、好きだったなあ。極真会館の分裂とか、気になって雑誌を見ていたときもあった。もう何十年前のことだろう。

図書館から借りてきた、ヘルマン・ブロッホウェルギリウスの死』読了。川村二郎訳。何とか読み終えたが、完全に自分の能力を超えた小説だった。ヘルマン・ブロッホは他に『夢遊の人々』を読んでいるだけであるが、まだ『夢遊の人々』の方がわかった気がする。訳者解説は簡潔なもので、中世におけるウェルギリウス伝説について書かれているのが目立つくらい、あとは内容の理解に参考になることはほとんど書かれていない。たぶん、本書を読むくらいの人間なら余計なことは言わなくてよいだろうということかも知れないが、自分には苦しかったですねえ。しかし、よくこれほどのものを訳されたと思う。あとがきを読むと、かなり自信のある翻訳のようであり、さもありなんと思わされた。しかし、わたしの世代で本書をそれなりに読めるのは、よほど特殊な人であろうと思ってしまう。もはや、世代的蓄積が失われてしまっているなと痛感することしきりであった。いや、あるいは自分だけの能力不足なのかも知れないが。

僕は『アエネーイス』は翻訳で読んでいるだけであるが、あんまり感心しなかったなあ。って翻訳で読んでいるような奴に何がわかるかといわれるであろうが。ダンテの『神曲』の先導者がウェルギリウスであるとおり、また訳者の仰るとおり、ウェルギリウスはかつては神の如き詩人と見做されていてた。『牧歌』は読んだのかどうか、覚えがない。京都大学出版会の西洋古典叢書に入っていたかな、どうだろう。

ブログを検索してみたら、やはり『牧歌/農耕詩』は 2017年に読んでいる(参照)。エーカゲンな読書だなあ。読んでも何にもならない。もう一度借りてきて読み直すか。


NML で音楽を聴く。■ブラームスの「ドイツ・レクイエム」 op.45 で、指揮はベルナルト・ハイティンクウィーン国立歌劇場合唱団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団NML)。ハイティンクは現在わたしのもっともリスペクトする指揮者であるから、これが NML に入ったからには聴かざるを得ない。しかし聴こう聴こうと思っていて、ようやくだな。むろんこれは大変な曲なので、一念発起(?)しないとなかなか聴けない。好きな曲かといわれると、ちょっとわからないのだが。この曲はいわゆる「レクイエム」のミサ典礼文を使っているのではなく、ブラームスがドイツ語聖書から自由に引いてきた文章に曲が付けられているものであるが、それがどういう内容なのか自分はよく知らない。今回聴いていて、それがかなり気になった。そのうち調べてみたいと思うが、できるかな。

ブラームス:ドイツ・レクイエム

ブラームス:ドイツ・レクイエム

 
晴。
朝ごはんを食った。

山形さんがこんなツイートをしている。「橋本治の追悼文を書いていて、やはりどうしても、なぜあれほど力のあった論者が90年代以降、その力を失ったか、ということを考えざるを得ない。そして思ったが、基本的に彼は(そしてリベラル派の多くの論者は)高度成長期の中で取り残された人々を救うための人々だったのね。」このあとのツイートを見ても、山形さんは橋本治の「その後」を評価しておらないのだよね。それは、『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』に衝撃を受けた山形さんからしたら当然の評価であり、また敢ていえば橋本治の正しい評価でもあるだろう。まあ、つい先日、橋本治が亡くなる直前に『小林秀雄の恵み』という飛んでもない本に感銘を受けたようなわたしは、どうでもいい人にはちがいない。わたしには、「三十四(だったっけ)で『本居宣長』に感動し、そして学問というものをしてみよう」と思った橋本治が、「わたしの橋本治」なのだが。しかし、それは飽くまでも特殊な例であり、何の重要性ももたない例だというのも自覚しているのだ。「中二病」者であるわたしにそれ以外はない。

しかし、小林秀雄…。何でいまさら小林秀雄なんだというところだろうな。僕は、浅田さんの「小林秀雄の貧しさは日本の貧しさ」という発言を思い出す。浅田さんの言っていることはよくわかるのだ。浅田さんは小林秀雄より遥かに豊かであるかも知れない。けれども、自分はいまさらな、無意味な人間なのだな…。


県図書館。外はいい天気で、暖かい日差しを浴びながら、青柳いづみこさんの弾くクープランを聴きつつ運転していると、陶然としてくる。前回借りてきた分がだいぶたくさん読めたので、調子に乗って限度の十冊まで借りた。
珈琲工房ひぐち北一色店に寄る。小沢信男さんの『東京骨灰紀行』というのを読む。「骨灰」というのはどういうことかと思ったら、読み始めたらすぐわかった。小沢信男さんを読むのはたぶん初めてだが、江戸っぽい粋な散文である。かなり強い散文で、本書の性格上現代の(無味乾燥な)言葉がたくさん混じるのだが、全然崩れていない。本書からわかるが、小沢さんというのはたぶん生まれも育ちも東京なのだろうな。ここまででは多少例外的な文章なのだが、サリン事件と聖路加病院の話は、ちょっと感動させられた。続けて読む。

やっは、検索してみたら小沢信男、過去に二冊読んでいるじゃないか。まじエーカゲンだな。どういう読書だ。