こともなし

早起き。深夜起床。

NML で音楽を聴く。■スクリャービンの練習曲 op.42-2, 3, 4, 5, 6 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテルNML)。op.42-5 が聴きたかった。これ以上切なくてロマンティックな曲はないな。リヒテルはもちろんすばらしいのだが、何で客はこんなにごほごほやっているのか。そういやリヒテルは一文無しで死んだって何かで読んだのだけれど、本当なのだろうか。本当なら、何でそういうことになったのか。僕はリヒテルって、史上最高のピアニストと認識しているのだけれど。

Richter Plays Scriabin

Richter Plays Scriabin

サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第一番 op.75 で、ヴァイオリンはピンカス・ズーカーマン、ピアノはマーク・ナイクルグ(NMLCD)。■マーラーの「大地の歌」で、指揮はカルロ・マリア・ジュリーニベルリン・フィルハーモニー管弦楽団NML)。たまにジュリーニとか聴いてみるとやはりすばらしいな。超一流。ついもっと聴きたくなる。
マーラー:交響曲「大地の歌」

マーラー:交響曲「大地の歌」

アマゾンでジュリーニマーラー(九番とかも)のレヴューをいろいろ読んでみたのだが、あんまり自分勝手な意見が多くて驚く。確かに音楽など自分の好きに聴けばよいというのは一応正論だが、それにしても基本的なレヴェルというものがあるのではないか。自分の偏狭な思い込みで愚にもつかない「レヴュー」とやらを書くのはいい加減にしてほしいという気がしてならない。そういうのは、僕のようにブログなどの「チラシの裏」にでも書いていればよいのだと思う。(マ、ブログでも「検索の邪魔になるから下らぬことを書くな」というコメントを頂いたこともあるけれどネ。)■プロコフィエフの「束の間の幻影」 op.22 で、ピアノは上原彩子NMLCD)。うーん、これ悪くないよ。パワフルな部分もよいけれど、やはり僕はこの人の抒情的な表現がすばらしいと思う。曲がまたぴったり。しかし、どう思ってもこの人はスクリャービンが合いそうなのだが。スクリャービンのアルバムとかないのかな。

晴。
朝寝(?)。気持ちよく寝てしまった。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第三番 K.216 で、ヴァイオリンはヘンリク・シェリング、指揮はアレクサンダー・ギブソン、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団NMLLP)。やはりよく演奏されるだけあって、すごくチャーミングな曲だな。シェリングのヴァイオリンは自然と襟を正したくなるような立派なもの。ただ、いまならもっと伴奏が主張するのがふつうな気がする。

いい天気。
医療器具販売店。肉屋。スーパー。

わたしは若い人たちにあまり関心がないし、若い人たちもわたしなどどうでもいいので、どうでもいい断絶が出来ているように思う。でもそれは、彼ら彼女からしたら「下らない年寄りなどさっさと死ねよ」というきわめて普遍的な認識によるものなので、だからちっぽけで当り前な、どうでもいい断絶なのである。
わたしはただ、若い人たちに驚かされたいのである。とてもかなわないと思わせられたい。ただ、そのためにアンテナを広く張っているというわけでもないのだが。

どうでもよいな。

スクリャービンの op.42-5 が頭の中をぐるぐる廻っていてどうしようもない。

さて、アマゾンのレヴューなどどうでもいいといえばそうなのだが、よく知らない人が見たらついそういうものかと信じてしまう、参考にしてしまうということがあると思うのだよね。で、全体のレヴェルがどんどん低下していくという。ツイッターとかでも同じなわけだが。まあ、どうでもいいか、そんなこと。自分を棚に上げても仕方がないし。

ずっとゴロゴロする。

ドラッグストアまで散歩。今日もカワセミを見る。また撮りそこなったけれど。

ヘルマン・ブロッホを読む。あと 100ページあまり。

早寝。