晴。
NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第二番 BWV1004 で、ヴァイオリンはジョン・ホロウェイ(NML、CD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三番 op.2-3 で、ピアノは園田高弘(NML、CD)。■メシアンの「シラヒゲムシクイ」、ピアノのための前奏曲(1964)で、ピアノはアレクサンダー・ソアレス(NML、MP3 DL)。「鳥のカタログ」のすばらしさには最近気づいたところである。美しい曲というのはいろいろな類があるだろうが、この曲集は二十世紀のピアノ作品の中でもある意味ではもっとも美しいそれといえるかも知れない。現代音楽のきわめて複雑な書法で書かれつつも、聴き手を戦慄させるその美には脱帽である。すべての人間が死に絶えても、鳥たちは神の臨在のもと、無心の囀りを止めることはあるまい。それを思うと、それでよいのだという思いに深く襲われる。
しかし、鳥の囀りがこんなに戦慄するほど美しくてよいのかということはあるかも知れない。まあそれは自分などにはわからないが、自分も鳥の囀りは大好きだし、ウチでは結構うるさいくらい鳥たちは元気だ。いまも蜜柑を食べに来ているヒヨドリたち(多いときは100羽くらい来ている)がキーキーと叫んでいるのが聞こえる。もうそろそろ喰い尽くされそうだ。
■ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(1926-2012)の「監獄の歌」で、演奏はツトム・ヤマシタ(NML)。こういう曲はたぶん曲の背景を知らないといけないのだろうけれど、調べるのが面倒くさい。何やらホー・チ・ミンの日記を使っているらしい。ふーん。
- アーティスト: ヤマシタ・ツトム,ヘンツェ,武満徹,デイビス
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2002/07/31
- メディア: CD
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金柑マジうまいです。畑を歩いているとつい食べてしまう。
よい天気なので散歩。近所なのにもう三十年以上歩いていない道を歩く。このところそこいらをほっつき歩いていると痛感するが、我々はもはや「地の霊」の住む場所に対する感性をほぼ完全に失ってしまったのだな。そのような場所が、たかがわたしの近所ですら現在急速に失われつつある。例えば、日本人は神社、あるいは「鎮守の森」に対する感性を失った。例えば「磐座」(いわくら)も、もはやそれが何だか多くの人にはわからないだろう。思えば中沢さんの「アースダイバー」のシリーズは、わたしにはあまりにレヴェルが高すぎてそう思っていなかったが、きわめて現代的かつ喫緊の仕事であったわけだ。我々もまた拙いなりのアースダイブを試みる感性を養うことは緊急の課題であろう。恐らくは既に手遅れであるかも知れないが。
っていっておくが、わたしの感性だって貧しいものである。わたし自身がダメなサンプルだ。しかし、それでよいとは思っていない。ぼちぼちでもやっていこうと思う。
ところで、「地の霊」は一見平凡なところに居るらしい。例えばそれがガソリンスタンドの廃墟にいないと、どうしていえるだろう。明るい茂みにいないと、どうしていえるだろう。もちろん、これらはデタラメに挙げただけである。
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図書館から借りてきた、『エリアーデ著作集第九巻 ヨーガ1』読了。
- 作者: ミルチャ・エリアーデ,立川武蔵
- 出版社/メーカー: せりか書房
- 発売日: 1995/09
- メディア: 単行本
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何かこのところマジメすぎるな。くだらんことをしよう、といって、何するかなあ。Tumblr はいまでも下らなくて好きなのだけれど、エロが追放されてだいぶ健全になってしまったしなあ。Twitter は確かに下らんけれど、ちょっとちがうしなあ(むしろむかつくし、絶望するわ)。マンガとかアニメかなあ。下らんのはいいけれど、幼稚すぎて疲れるしなあ。テレビかなあ。見るのが面倒くさいしなあ。寝るかなあ。
「けものフレンズ」第9話を観る。続きを観るのは何か一年ぶりみたい。
関数解析の本を読む。むずかしい。