ゴーリキー『二十六人の男と一人の女』

晴。

老母の帰りが遅くなったので、昼食は昨日の鍋料理の残りで雑炊を作る。チーズを上にぱらぱら。ちょっと焦がした(笑)。

ちょっと意外だったが、魚雷さんも橋本治をバイブルのように(?)読み込んできた人なのだな。僕は橋本さんって読まれているのかなと思っていたが、亡くなってみるとブログでもふつうの人(というのもヘンだが)が様々な発言をしていて、ひっそりとではあったかも知れないがやはり広く深く読まれていたのだなとわかった。僕などはむしろ読んでいない方であろう。でも、魚雷さんが書いている『'89』は僕も同時代的に読んだし、いまも文庫本が隣の部屋の本棚に置かれている。僕は魚雷さんとほぼ同い年なので、『貧乏は正しい!』の我々の精神への浸透力もわかるつもりだ。あれこれ思うと、確かに早死ではあったが、巨大かつ零細(?)な仕事をやり遂げた、充実した巨匠であったことはまぎれもない。そして、まだまだ本格的に読まれているとはいえないことも明白だろう。


ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ほわっとシュー シュガー+ブレンドコーヒー388円。気分的に現代のさかしらな書物を読む気が起きないので、古典新訳文庫新刊のゴーリキー短篇集を開いたのだが、じつにおもしろくて一気に半分くらい読んでしまった。ゴーリキーってそれほど読んだことはないが、本書で読んだところの短編はすべてロシアの下層民やアウトローを題材に採っている。それはおそらく著者は意図的にやっているので、いま先入観をあまりもたずに読んでみると、そのことが小説に迫力を与えているのはまちがいない。それに、どれも「お話」としても読ませるのだよなあ。あんまり「プロレタリア文学」ということを意識しないでも充分おもしろい。ゴーリキーがこれらを想像で書いたのかどうかは知らないが、いわゆるリアリズム小説で、迫真性を感じさせるのは確かである。続けて読む。


NML で音楽を聴く。■ハイドンのピアノ・ソナタ第五十三番 Hob.XVI:34 で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウスNMLCD)。■リストのピアノ・ソナタ ロ短調で、ピアノは佐藤彦大(ひろお)(NML)。佐藤というピアニストはよく知らないが、2016年に「マリア・カナルス・バルセロナ国際コンクール」で優勝するなど、若手の成長株ということなのだろうか(無知)。この演奏を聴くと、リストのマッシヴな迫力の表出は大したもので、聴き応えがある。しかし、じっくり聴かせる部分はじつに弱い。それからこれは録音だからよくはわからないが、これを聴く限り、音そのものに魅力が乏しい。これは迫力ある部分でもそうで、ちょっと荒く感じられる。ただ、まあ一応聴き通すことはできたので、それなりの魅力はあるのかも知れない。まだまだ研鑽が必要なのではないか、少なくともこれを聴く限りでは。

佐藤彦大 3大ピアノ・ソナタを弾く

佐藤彦大 3大ピアノ・ソナタを弾く

 
ゴーリキー『二十六人の男と一人の女』読了。中村唯史訳。最後に収録されている「女」という短篇が特によかった。感傷的なわたしに合っているし、これはちょっとハードボイルドじゃあないかとも思う。何とも主人公にカッコよさを感じるのだ。あとは上に既に書いたとおり。ゴーリキーは自分の好みのタイプの作家だと思う。そこにはある種の真実があり、繊細でいて同時に力強い。訳者解説によればゴーリキーの弱点として、構成的な弱さ、過度の哲学的饒舌、目立ちすぎる傾向性が挙げられるという。また訳者はそれに加えて過度の感傷性も欠点に挙げている。なるほどとは思うが、たぶんわたしはそういうことを大した欠点と思っていないのかも知れない。なお、訳者解説はとても参考になった。よい文庫本だと思う。
二十六人の男と一人の女 (光文社古典新訳文庫)

二十六人の男と一人の女 (光文社古典新訳文庫)