落合陽一『日本進化論』

晴。
寝坊。

NML で音楽を聴く。■ハイドンのピアノ・ソナタ第二十二番 Hob.XVI:24 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテルNMLCD)。■バッハの「フーガの技法」 BWV1080 ~ Contrapunctus VIII a 3, IX a 4 alla Duodecima, X a 4 alla Decima, XI a 4 で、ピアノはゾルターン・コチシュ(NMLCD)。


昼からイオンモールへ。まずは未来屋書店にちょっと寄って、何となく新書本二冊を買う。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ホット・セイボリーパイ フランクフルト+ブレンドコーヒー486円。いま買った落合陽一氏の『日本進化論』を読む。自分のような旧人種にはあまり読むところがなく、二十分ほどで読了。旧人種が諸悪の根源らしい(誤読?)。生きていてすみませんである。しかし、せっかく若くて優秀なのだから、無意味なヒョーロンカになってエラソーなことをほざいておられるよりか、自分の専門で世界一になった方がよいのではないか。自分のよく知らないことを吹聴して、ついこの間もネットで叩かれて謝罪しておられたが、若い人たちの希望の星なんでしょう? わざわざ旧人種の悪弊に染まることはないと思うのだが。まあしかし、余計なお世話だし、わたくしのごときが何様ですね。

日本進化論 (SB新書)

日本進化論 (SB新書)

次いでこれもいま買った『移民国家アメリカの歴史』を読む。かなり硬い本で読みやすくはないが、さらりと言及されるパスポート・システムの誕生のあたりから俄然興味がわいてきた。なるほど、第一次世界大戦以前にはパスポート・システムはまだしっかりと構築されていなかったのか。考えたこともなかった。それから、「優生学」というとついナチスを思い出してしまうのはわたしだけではないと思うが、優生学ってのはアメリカが本場の「学問」だったのだな。これもアメリカが「移民国家」であることの帰結である。おもしろい。


落合陽一さんの新書をあちらこちらひっくり返しているのだが、データ重視で理性的で、これは旧人種とちがうと思わせるに充分ではあるのだけれど、結局これって官僚のやっていることと同じなのだよね。つまり官僚(あるいは旧人種の一団)=バカで彼ら彼女らには任せられないから、俺達がやるという、とっても頼もしい限りである。「ポリテック」=政治+技術で、先端技術がすべてを(ではないかも知れないが)解決するという、まったく楽観的なビジョンですごい。そういうことは既に例えば東さんたちがやっていて、それを知らないとも思えないのだが、東さんたちがそれに真摯に取り組んでどういうことになったか、いやそれも知っていて言っておられるのだろうなあ。東さんたちでは力不足で、実際にコンピュータ・エンジニアリングの専門家である自分なら可能であるという自信のあらわれなのだろう。もちろん、わたしなどがそれをバカにするのは絶対に間違っている。それに、自分は経済的な意味で将来の日本に絶望しているのではまったくない。自分が絶望しているのは、日本ではなく日本人に対してであり、つまるところ自分に対してである。若い人たちが日本を救うことに関しては、共に賭けたっていいのだ。そしてその救われた日本には、自分のごときが居る場所はあるまい。それはまず間違いのないところである。そこに展開するのは、全面的に AI に支えられた、(東さんのタームを借りれば)「動物的」ユートピア、一生快楽の享楽に従事する階層と、バックヤードに生息する不可視の不可触賤民たちに二分された、限りなくリスク 0 に近づいた人工的世界の全面化であろう。それは一部ながら既に確実に現実化しているのだ。そして、今度こそ歴史はそこで終了するのかも知れない。