『天才作曲家 大澤壽人』を読む

曇。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第六番 op.10-2 で、ピアノはミハイル・プレトニョフNMLMP3)。このプレトニョフのライブ音源、おもしろい。若き才能がじつにフレッシュ。なるほど、いま発掘される価値があったというわけだ。■ショパンのピアノ・ソナタ第三番 op.58 で、ピアノはミハイル・プレトニョフNMLMP3)。これもおもしろい。贅肉のまったく付いていない、引き締まったショパンだ。好きに弾いて形になっているところがフレッシュ。若い才能というのはホントにいいな。しかしこのコンサート、この曲で終わりであとはアンコールだと思っていたのだが、ちがうのかな? ■モーツァルトネーデルラントの歌「ヴィレム・ファン・ナッサウ」による七つの変奏曲 K.25、サリエリの「わがいとしのアドーネ」による六つの変奏曲 K.180 で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。


昼から県図書館。車内の BGM で坂本龍一の『SMOOCHY』を聴いていた。このところずっとポピュラー音楽を聴いていなかったので、教授の和声の細かい表情にハッとさせられる。まあ帰りになると、もう慣れてしまってふつうな感じになってしまうのですが。しかし、「美貌の青空」とか「HEMISPHERE」とかを聴いていて運転していると、何だか自分がカッコいいかのような錯覚に陥りますね。もちろん自分がカッコいいのではなくて教授がカッコいいのだが。

SMOOCHY スムーチー

SMOOCHY スムーチー

帰りに珈琲工房ひぐち北一色店に寄る。図書館の隣にあるミスドは、人でいっぱいで諦めたのだ。先ほど借りたみすず書房の『天才作曲家 大澤壽人』を読む。読みだしたら惹き込まれた。大澤壽人(1906-1953)はつい最近まで完全に忘れられていた日本の現代音楽作曲家であり、家族からの依頼で片山杜秀さんが調査してみたところ、宝の山の大発見だったという、まあ劇的な復活をなした人なのであった。一般の音楽好きに知られるようになったのは、その片山さんが監修している Naxos レーベルの「日本作曲家選輯」に入って、皆がびっくりしてからのことである。もちろんわたくしもその口だ。著者の生島美紀子という方は初めて聴く名前で、専門の音楽教育を受けられたプロであり、記述も安定しているのを感じる。正直言って自分には楽曲分析はある程度しかわからなく残念であるが、楽曲分析できなくても充分読める本なので安心(?)されたい。いま、若き大澤が留学先(ボストン)でメキメキ頭角を現してくるあたりを読んでいるが、思わず感動させられる。だって、1930年代、昭和初期の話ですよ。若い煌めくような才能の開花というのは、どうしてこう我々の胸を熱くさせるものがあるのか。本書は単行本で 500ページを優に超える大著であるが、是非読み通したいものだ。
天才作曲家 大澤壽人

天才作曲家 大澤壽人

 
『天才作曲家 大澤壽人』を引き続き読む。ボストンの誇りとすらなった大澤が、パリで彼の音楽を紹介する演奏会を開き(大澤自身は自作も含めタクトを振った)、日本人音楽家として空前の大成功をおさめたところを読んで、瞑目してしばらく読み続けることができなかった。感傷家も甚だしいので、まったく恥ずかしいのだが、感動して泣けて仕方がなかった。まったく我がことのようにうれしく、誇らしかったのである。1935年、昭和一〇年のことであった。著者はなるたけ平静を保った記述であるが、内に秘めた誇らしさがあって、それもまたわたしを感動させる一因なのかも知れない。それにしても本書の楽曲に関する記述を読むと、自分は大澤を聴いたといっても、どれほど理解しているか疑問だと思った。そもそもわたしは、大澤の作品を Naxos からの二枚の CD でしか知らないし、曲をはっきり覚えてもいない。これは必ず聴き返すと思う。本書は第五章、若き大澤の海外での大活躍を活写した部分までを読んだ。このあと大澤は帰国し、時代は次第に暗鬱なものに移り変わってゆく。(PM11:30)