2018年に読んだ本から / 吉田秀和『言葉のフーガ 自由に、精緻に』

日曜日。晴。今朝は氷点下だったらしい。

NML で音楽を聴く。■バッハのヴァイオリン・ソナタ第三番 BWV1016 で、ヴァイオリンはアレクサンドル・ブリラ、チェンバロはマリア・バナシキヴィッチ=ブリラ(NMLCD)。■ボロディンの「小組曲」、他で、ピアノはクリスチャン・イーレ・ハドラン(NMLCD)。■シューマンの「謝肉祭」 op.9 で、ピアノはホルヘ・ボレットNML)。さすがはボレット。すばらしい。

■ディーリアスのチェロ・ソナタで、チェロはジュリアン・ロイド・ウェバー、ピアノはベンクト・フォシュベリ(NML)。

Complete Music for Cello & Piano

Complete Music for Cello & Piano

 

昨日は今年聴いた音楽のまとめを書いたので、今日は今年読んだ本についてまとめようと過去のエントリを見ていたが、あまり書きたい気がしない。どうせ書いても誰も見ないし、とか、それに、今年は本を読まなかった。印象に残った本がほとんどない。完全に老化であろう。それでもまあ、ちょっとだけ書いてみる。
 

たそがれてゆく子さん (単行本)

たそがれてゆく子さん (単行本)

老母が今年の三冊を選んで、去年も今年も伊藤比呂美さんを選んだと言っていたが、自分もいちばん心に残ったのはやっぱり伊藤さんの『たそがれてゆく子さん』かな。ウソくさい本ばかりが氾濫する中、本当のことを書いている人がどれだけいるか。伊藤さんは、本当に生きているなあと思わされる。もはや我々には、死しかリアルなものは残されていないのかも知れない。石牟礼さんも死んだが、本書には最後の石牟礼さんも出てくる。
 
魂の秘境から

魂の秘境から

花びら供養

花びら供養

綾蝶の記

綾蝶の記

ここすぎて水の径

ここすぎて水の径

言魂

言魂

その石牟礼さんだ。意外とたくさん読んだものだな。わたしは石牟礼さんを語る言葉をもたない。
 
アエネーイス (西洋古典叢書)

アエネーイス (西洋古典叢書)

古典もあまり読まなかった。『アエネーイス』は自分はそんなにおもしろく思ったわけではないが、まあそれでも挙げておこう。
 梯久美子さんの新書を読んだので、本書も読んでみたが、これは心に残った。原民喜が現代に生きていたら、何かを残し得たか疑問である。あの頃は文学があったから、彼のような人間でも何かを残し得た。それがよいことなのかは知らない。
 
禅海一瀾講話 (岩波文庫)

禅海一瀾講話 (岩波文庫)

枕頭の書として細細と読み継いだ本である。いまの仏教本は読む気が起きないが、これは本物だ。そういやこれも岩波文庫の『大乗起信論』も読み返して、おもしろかったな。いまは華厳が読みたいが、自分のような者にも読めるエディションがあるだろうか。
 
あとは、今年は中沢さんが「群像」に連載をもっていて、それが出るたびに待ちかねたようにして立ち読み(笑)した。中沢さんの単行本単著は『アースダイバー 東京の聖地』しかなくて、おそろしくさみしかった。連載は来年中に単行本としてまとまるだろうか。渇望している。それから、吉本さんの全集も少しづつ読んでなぐさめられた。中沢さんや吉本さんを読んで、かろうじて先へ進もうという気力が出てくる感じである。これが、日本終了二年目の我が読書の姿にちがいない。

ブログ「本はねころんで」さんは読書が先細りにならないよう、日々工夫を怠ることがない。ブログにはいつも深く励まされている。ゆたさんはこんなわたしに時々声をかけて下すって、感謝している。僕の一日は起きてゆたさんのブログを読むところから始まるのだ。yomunel さんの日記は週に一度の自分へのプレゼント。その他、okatake さん、善行堂さん、魚雷さん、等々いろいろなブログがなかったらとても僕はいまここにこうしていないだろう。ここに記さないブログその他も、僕はひそかに読んでいます。一年間ありがとうございました。

シューベルトのピアノ・ソナタ第二十一番 D960 で、ピアノはマリア・ジョアン・ピリスNMLCD)。この曲は終楽章だけ、それ以前の三楽章とだいぶ性格がちがう。というか前の三楽章に比べて一段レヴェルが低く、聴き劣りする。終楽章以外は大変な傑作というか、シューベルトの遺作にふさわしい曲なのだが。ピリスの演奏に不満はない。■シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」 D957、他で、テノールペーター・シュライアー、ピアノはアンドラーシュ・シフNML)。

シューベルト:白鳥の歌

シューベルト:白鳥の歌

 
図書館から借りてきた、吉田秀和『言葉のフーガ 自由に、精緻に』読了。単行本で 600ページ近い、吉田秀和さんのアンソロジーである。既に以前のエントリで感想は書いたので、あとは簡単に。僕はオペラにも印象派絵画にもあまり興味はないので、後半は流し読みした。本書でいちばんおもしろかったのは、ジュゼッペ・シノーポリを論じたものである。カール・ベームの指揮について書かれた文章もおもしろかった。先日も書いたとおり、自分は吉田秀和さんの文章を膨大な量読みながら現在まできたが、当分吉田秀和さんはもうよいという感じ。ここまで西洋文明を理解して、いったい何なのだという気がする。もっとも、我々は優秀な先達たちが平坦な道路をこしらえておいてくれたからこそ、そんな口がきけるので、別に我々がえらいわけでも何でもない。わたしも毎日西洋音楽を聴いてばかりいるが、別にふつうに聴いているだけである。そのような我々を作り出したのが、吉田秀和さんのような存在だった。まさに、圧倒的な能力であり、仕事であると思う。でも、もういいのだ。
言葉のフーガ自由に、精緻に

言葉のフーガ自由に、精緻に