大岡昇平『小林秀雄』

晴。

昨晩から Linux Mint 19 で Windowsフリーゲーム等を動かすのに熱中。ゲームがやりたいというよりも、わざわざ LinuxWindows のソフトを実行させるという無駄な試みがおもしろくてやっている。昨日もちょっと触れたけれど、Wine というアプリケーションを使っているのですね。しかし、何でも動くというわけにはいかない。
これはフリーの戦略シミュレーション・ゲームとして有名な「Almagest」をいうのを Wine で走らせた記録。下の「ふしぎの城のヘレン」というフリーRPG は、Windows でしか動きませんでした。全然遊んではいないのですが(笑)。
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NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ協奏曲第五番 K.175、第二十四番 K.491 で、ピアノはダニエル・バレンボイム、イギリス室内管弦楽団NML)。若きバレンボイムによるフレッシュな名演。これを聴きながら死んだら苦痛なく至福の内に死ねるのではないかと昔どこかで村上龍が書いていたが、さすがにうまいことを言うと思う。ある時期からのバレンボイムは僕は合わないし、それに青柳いづみこさんではないが、指揮が忙しすぎてピアノの練習ができないで当り前ということになっているけれども、この頃はすばらしく元気がよい(でも、若い頃からあんまり練習しなかったのではないかとも思われるのだが)。第二十四番終楽章の短調から長調へ転調する前後、ゾクゾクしますね。昔から大好きなモーツァルトのピアノ協奏曲全集である。

Mozart: Complete Piano Concertos

Mozart: Complete Piano Concertos

なお、アマゾンのレヴューでは酷評されていますね。まあ好きに聴いたらよいのだが。■ブラームス交響曲第四番 op.98 で、指揮はセルジュ・チェリビダッケシュトゥットガルト放送交響楽団NMLCD)。おー、最後は盛り上げて終ったなという感じ。途中、ダレているところはたくさんあった。僕はもっとメリハリのついた演奏が好みだが、確かにチェリビダッケの作り出す音は透明で洗練されている。僕はチェリビダッケはあの止まりそうなスローテンポよりも、ドライブ感があるところの方が好きだ。


ブログ「本はねころんで」の今日のエントリを拝見していたらはてなブログの広告について言及されていたけれど、僕はブラウザが Google Chrome なので「Adblock Plus」という Chrome Extension(拡張機能)を使っている。多くの広告を自動的に非表示にしてくれる有名な Extension である。便利ですよ。「本はねころんで」さんは Firefox を使っておられるように以前拝見したが、Firefox のアドオンにもまったく同じもの(参照)があるので、これらブラウザを使っておられる方にはおすすめしておきたい。はてなブログの広告もまったく見えなくなります。


大岡昇平小林秀雄』読了。文庫オリジナル編集。大岡昇平にせよ小林秀雄にせよ、自分にはあまりにもなつかしい人たちである。大岡が引用している小林秀雄の文章の断片が、何だか悲しくてしようがない。もはや若い人たちには小林秀雄など何の意味もない。本書文庫解説は山城むつみさんで、これは読み応えがあった。山城さんは、現在の同時代人ではない、まじめな文芸批評家である。あまりよくは知らないが。その解説に、「今は、小林秀雄は我々の『師』だが、我々は彼の『弟子』ではないと敢えてはっきり言うべきときである」(p.284)とあるが、自分にはその気持ちがよくわかる気がする。それは「反知性の奈落」(p.284)に落ち込むことであるから、と。しかし、よく考えてみると小林秀雄は本当に「反知性」なのだろうか。けれども、そんなことはいい。最近わたしはよく思うのだが、小林秀雄からわたしが教わったことに、「沈黙」の大切さがある。そもそも、皆んな何でも口が回りすぎる。ある優秀なプログラマの「いやな法則」というのに、「にわかほど語りたがる」というのがあったが、まさしくそれだ。自分もこんなくだらないブログでくだらないことを書きすぎるくらいだが、これでもできるだけ語るまいと心がけているのである。我々の語ることは、よほど気をつけていないとすぐに我々を裏切る。つい、心にもないことを語る。例えばネットなんて、所詮そんなものの堆積にすぎないともいえるし。

小林秀雄 (中公文庫)

小林秀雄 (中公文庫)