青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』

曇。のち雨。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第四番 K.282 で、ピアノはアリシア・デ・ラローチャNMLCD)。■カルロ・ジェズアルド(1561-1613)の「洗足木曜日のためのレスポンソリウム」で、演奏はヒリヤード・アンサンブルNML)。

Tenebrae

Tenebrae

 
あんまり調子がよくなくて昼寝していたらやたらとエロティックな夢を見た。何だかなあ。

ショスタコーヴィチ交響曲第五番 op.47 で、指揮はアンドリス・ネルソンスボストン交響楽団NMLCD)。ショスタコーヴィチ随一のポピュラー曲であるが、何となくショスタコーヴィチらしくない曲にも感じる。いずれにせよショスタコーヴィチ交響曲では素直に音楽を書いていないので、自分は彼の交響曲はどちらかといえば苦手だ。■バルトークの狂詩曲 op.1 で、ピアノはパスカル・ロジェ、指揮はヴァルター・ヴェラー、ロンドン交響楽団NMLCD)。バルトークはよい。■フォーレのピアノ四重奏曲第二番 op.45 で、演奏はアマラ・ピアノ四重奏団(NMLCD)。


青柳いづみこ高橋悠治という怪物』読了。本書は高橋悠治の評伝というわけではない。高橋本人がまだ存命で活躍中なのであるから、それは当然なので、本書は主にピアニストとしての高橋悠治に対する批評本であるともいえようか。けれども、当然ながらたくさんの資料と本人からの情報で、自分の知らないことばかりであった。そもそも、高橋がピアニストとして超絶的なヴィルトゥオーゾだったということすら、知らなかったのだ! それに、音楽を解体してしまうような奏法を身につけており、一方でそれとは逆なエモーショナルな表現もできるという、そんな存在なのだと。しかし、本書に頻出する現代音楽に関する知識を知らなくて困った。ここに出てくる現代音楽の曲など、半分どころか三分の一も知らない。こう思うと、自分はクラシック音楽の聴き手として、かなり保守的な方なのだなと気づかされる。そもそも、自分が現代音楽を集中的に聴き始めたのが、ようやく三十歳くらいの頃だったのではないか。
 また、先日も書いたが、青柳さんの音楽批評は自分の理解力を大きく超えている。見る方に高い能力を前提とする居合抜きのようなもので、やられても気づかないみたいな。確かに、もはや吉田秀和さんのような啓蒙の時代ではない。自分は孤独な田舎者であり、都会のレヴェルを見せつけられた感じだ。もちろんこれはわたしがいけないのであり、青柳さんのすばらしい音楽の理解力も筆の力も自分などの言及できるところではない。いつもどおり芸もなく、大変おもしろうございましたと著者には感謝しておきたい。

高橋悠治という怪物

高橋悠治という怪物

 
パーセルのレッスン選集 組曲第七番 ニ短調クープランシャコンヌ ト短調、パヴァンヌ嬰ヘ短調高橋悠治の「散らし書き」、ジョン・ケージの「四季」で、ピアノは高橋悠治NML)。2017年の演奏。上の本で言及されていたもの。そんなに不思議な演奏とも思えないけれども。ただ、バロック音楽と現代曲が違和感なく同居してるのが不思議といえばそうである。なお、NML には高橋悠治がメインの CD はあまり入っていない。ちなみに、NML には青柳いづみこさんのアルバムもほとんどない。ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第二番 op.102 で、ピアノはクリスティーナ・オルティス、指揮はウラディーミル・アシュケナージ、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団NML)。これは相当によい演奏。ピアノのメリハリの付け方がすばらしい。
Shostakovich;V.C.1/P.C.2

Shostakovich;V.C.1/P.C.2