『エリアーデ著作集 第六巻 悪魔と両性具有』

晴。
昧爽起床。昨晩は早く寝た。

NML で音楽を聴く。■バッハのトリオ・ソナタ第四番 BWV528 で、オルガンは椎名雄一郎(NMLCD)。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第一番 BWV1001 で、ヴァイオリンはジュリアーノ・カルミニョーラNML)。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは全部で六曲からなる著名な曲集であるが、これが自分に親しい音楽として聴こえてくるようになったのはそれほど前のことではない。曲があまりにも大きくて、自分を大きく超えていたのだ。最近ではこの曲集を聴くと深くなぐさめられる。たった一丁のヴァイオリンの作り出す世界が、無限に深いのを感じる。

バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ

バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ

それにしても Deutsche Grammophon も、CD で発売直後のアルバムを NML に入れてくるとか、随分思い切ったことをするようになったものだ。何となく、天下の DG も変ってきたのだろうかと不思議な感じがする。■ショスタコーヴィチピアノ三重奏曲第二番 op.67 で、ヴァイオリンはツォルト=ティハメール・ヴィゾンタイ、チェロはマッツ・リードストレム、ピアノはウラディーミル・アシュケナージNMLCD)。この曲はピアノ・トリオというジャンルを代表する名曲のひとつである。この演奏で特筆すべきなのはピアノのアシュケナージであろう。かつての楽天的な輝かしい美音のピアニストはどこにもおらず、ドスの利いた暗い迫力が共演者たちをインスパイアして已まない。名演という他ないだろう。三年ほどの前の録音で最近といってよいと思うが、アシュケナージ健在を印象づける演奏である。■マーラー交響曲第九番で、指揮はチョン・ミョンフン、ソウル・フィルハーモニー管弦楽団NML)。チョン・ミョンフンマーラーは第五番を聴いて度肝を抜かれたことがあるが、この第九番も期待に違わぬすばらしい出来である。マーラーは長いし巨大で、そうそう聴くわけにいかないのだが、このチョン・ミョンフン+ソウル・フィルの演奏はこれからもできるだけ聴きたいと思っている。ここでもソウル・フィルはすばらしく美しく、また恐らく録音もよい。マーラーにぴったりの残響だと思う。チョン・ミョンフンはいうまでもない実力者。このマーラーは例えばアバド晩年の命を削ったようなものではないが、過不足ない、精緻で美しいマーラーであり、いまでも大量に出るマーラーの新譜の中でも、これほどのものは滅多にないと確信している。それにしてもマーラーの人気は不動のものになったので、NML のマーラー新着の50件は、最後尾でも半年前に満たない。ちょうど僕がクラシック音楽を聴き始めた頃にマーラー・ブームといわれたが、本当にマーラーは己の予言どおり勝利したな。
Mahler: Symphony No 9

Mahler: Symphony No 9

 
夕方になって雨。

図書館から借りてきた、『エリアーデ著作集 第六巻 悪魔と両性具有』読了。論文集で統一された著作ではない。いまエリアーデが読まれているのかまったく知らないが、いまだに読む価値があると思う。エリアーデは決して古くなっていない。

エリアーデ著作集 第6巻 悪魔と両性具有

エリアーデ著作集 第6巻 悪魔と両性具有

ただ、欲をいうと新訳が欲しいようにも思う。それも文庫本などのエディションで出るとよいのだが。エリアーデはそれに値する学者だと思うが、まあいまの出版界では無理かも知れないな。

『禅海一瀾講話』を読む。星々の消えつつあるように見える現代日本の仏教界であるが(いや、よく知らぬけれどね)、クソ坊主どもは本書を拳々服膺するとよいと思う。とかいっても無駄なのだけれど、一応いわずにおれない。わたしも本書を読んで自分の小ささを毎回確認している。しかし、誰が岩波文庫に入れたのだろうな。ありがたいことである。まあ人のことはよいのだ。自分は自分のカスぶりをもっと肝に叩き込んだ方がよい。

リチャード・E・ルーベンスタインを読む。


明日から一泊の予定で遊んできます。また何か天気があまりよくなさそうだけれど。我々の心がけが悪いのだな(笑)。