名鉄広見線阿房列車 / W・G・ゼーバルト『カンポ・サント』

曇。
何かが足りない。このままではダメなのを感じる。

前から名鉄全線完乗をしようと思っていたのだが、ヒマ人なのに暑いの寒いの面倒だの言っていてはどうしようもないので、思い立って昼からひとりで「乗り鉄」してきました。今日は名鉄広見線に乗ろうという。



市民公園の駐車場に車を置いておいて、名鉄犬山線市民公園前駅から犬山方面で乗車。13:13。ひさしぶりの「阿房列車」で楽しい。あまり人は乗っていない。20分ほどで犬山着。犬山はここはここで歴史のある街なので、そのうち下りて歩いてみたい。近いものな。なお、犬山駅では無料 Wi-Fi が使えた。ここから広見線で、新可児駅までなのだが、一時間に四本もあって驚く。車窓は次第に極ふつうの田舎の風景に。



13:56 新可児着。空が曇ってしまった。ここで御嵩行に乗り換える。待ち時間が 20分近くあるので、自販機で冷たいお茶を買ってぼーっとする。


14:25 御嵩着。一時間一〇分くらいで着いたか。意外とすぐだった。帰りの電車は 30分後なので、町を少し歩く。



じつは御嵩駅の前を通っている道は中山道である。御嵩にはその宿場「御嶽宿」があったのだ。それほど古い建物は残っていないが、多少はそれなりの雰囲気を楽しむことができる。今日は休館日だったが、「中山道みたけ館」というハコモノもある。


細い路地に入ったり、テキトーに歩いていたら川に出た。可児川というらしい。ここで少しだけ晴れてくる。しかしこのカメラ、曇の日の描写力はさほどでもありませんね。明るいと結構きれい。


御嵩駅の近く。30分いっぱい歩いて、発車間際に乗り込む。14:59 御嵩発。

16:12 市民公園前駅着。犬山で下りようか迷って犬山までの切符を買っていたのだが、やはり下りずに帰ろうと思って車内で車掌に精算を頼んだところ、いまは車内で精算できないのだって。駅の精算機で精算してくれとのことで、へーと思った。帰ってきたらもう薄暗かった。

図書館から借りてきた、W・G・ゼーバルト『カンポ・サント』読了。雑文集とでもいうべきか。本書のカフカの映画体験について書かれた文章を読んでいて、カフカについて膨大な文章を紡いできた後世の文学者や文学研究者、学者たちが突然、カフカの死肉を食い散らすハイエナのように思えてくるという体験をした。それはもちろん、カフカについて汗牛充棟の文書をでっち上げてきた学者たちに対するゼーバルトの軽蔑を読んでそう思ったのであるが、ゼーバルトが賞賛するオリジナリティのあるカフカ研究にしたところで、どうなのだろうとも思った。確かにカフカの映画体験をデータ重視で浮かび上がらせた研究は貴重であろうが、たぶんカフカは、そんなことはつゆとも思わずその日記を書き綴っていたにちがいないのである。それもこれも、カフカが偉大な作家として認定されたためであるが、それもこれもカフカのテクストが彼の意志に反して死後保存されてしまったからのことである。といって、自分は別にハイエナどもがカフカの死肉を食い荒らしていてもどうという気はないのでもある。他人の商売の邪魔をする気はない。自分もまた、小さいながらそのような一匹のハイエナであるのだし。まあ、そんな風に思ってしまったので書き留めておく次第である。
 あと、本書でゼーバルトフローベールの「聖ジュリアン伝」に二回も詳しく言及しているのはオヤと思った。自分は少し前に『三つの物語』を読んだばかりなので、この短篇のことはまだよく覚えているが、非常にグロテスクな小説であり、まったくわたしの好みでないというか、いや、だって、気持ち悪すぎるでしょ? ちょっとゼーバルトの気持ちがわからないという感じである。しかしまあこれは、自分には文学がわからないせいかも知れない。ゼーバルトという人も、そんなに好きではないし。

カンポ・サント (ゼーバルト・コレクション)

カンポ・サント (ゼーバルト・コレクション)

 
今日テレビを見ていてたまたま村上春樹の最近の顔を見たのだけれど、目を背けたくなるようなヒドい顔でびっくりした。クソである自分のような人間がいうのは気が引けるが、平凡で痴呆のようなしまりのない顔だった。僕は別にアンチ村上春樹でも何でもなくて、これまで読んだものはたいてい多かれ少なかれおもしろく感じたが、それにしてもこういう顔の人が現代ではノーベル賞級(まあノーベル賞文学賞など何だという気もするが)の大作家とされるのだな。ふしぎな時代である。