こともなし

昧爽起床。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番 op.37 で、ピアノは園田高弘、指揮は大山平一郎、九州交響楽団NML)。ベートーヴェンらしいベートーヴェン。僕は園田さんの音が好きだな。バックハウスの音が好きな人なら、わかってもらえるかも知れない。指揮、オケも好サポート。すばらしい純国産ベートーヴェンだと思う。純国産ということに意味があるかどうかは別だけれどもな。とにかく、感銘を受けました。

ストラヴィンスキーの「春の祭典」で、指揮はベルナルト・ハイティンクベルリン・フィルハーモニー管弦楽団NML)。NML の新着の欄には「ペトルーシュカ」とあったのだが、表記がちがっていますね。僕はそもそもこの曲は通俗ギリギリであまり好きではないのだが、僕の好きなハイティンクの指揮でもそれは変わらなかった。聴いていると正直うんざりしてこないでもない。それにベルリン・フィルが精密兵器みたいな演奏で、これではセルジオ越後だって文句のつけようがあるまい。唖然としたが、しかしこんなものは音楽とはまた別のものですね。曲芸みたいなものである。まあこういうのが好きな人は多いだろうが、僕が聴きたいのは音楽なのだ。
ストラヴィンスキー:バレエ「春の祭典」、「プルチネルラ」

ストラヴィンスキー:バレエ「春の祭典」、「プルチネルラ」

ブリテンの「ジョン・ダンの神聖なソネット」 op.35 で、テノールはエリック・リーガー、ピアノは J・J・ペンナ(NMLCD)。これはカッコいい曲だ! 僕はブリテンの「セレナード」 op.31 が大好きなのだが、この曲は「セレナード」によく似た雰囲気をもっている。作品番号が近いので、近い時期に書かれたのではないか。いずれも、ブリテンの同性愛のパートナーであったピーター・ピアーズのために書かれているのだと思う(たぶん)。自分は英語があまり聴き取れなくて、それでは曲の理解ができているとは言えまいが、わかるところではブリテンの曲の付け方の独創性があざやかに感じる。「セレナード」が好きな人(ってあまりいないかも知れないが笑)には、是非おすすめしたい曲だ。(AM06:02) 

つい 10日ほど前にポリーニが来日していたのだな。検索していてたまたま見つけた。よいと評価している人もダメといっている人もいたが、これまで概して日本の聴衆はポリーニに好意的であった人が多いように思う。わたしはもちろんポリーニを生で聴いたことはないし、もはやこれからもないだろう。近年の CD は買って一度だけしか聴いていないものもある。いずれにせよ、わたしには特別の音楽家であった。

雨。

メンデルスゾーンのチェロ・ソナタ第一番 op.45 で、チェロはリン・ハレル、ピアノはブルーノ・カニーノ(NML)。

メンデルスゾーン:チェロとピアノのための作品全集

メンデルスゾーン:チェロとピアノのための作品全集

■バッハの「恐れることなかれ、われ汝とともにあり」 BWV228 で、指揮はハワード・アーマン、バイエルン放送合唱団(NMLCD)。


ふと思ったが、都会に住んでいては石牟礼さんのことは到底わからないだろうな。僕は火野さんがやっている NHK の「こころ旅」が好きだが、あれのよさのひとつに日本のふつうの、当り前の田舎が登場するところがあると思う。まだまだ日本にはすばらしい場所がたくさんあることがわかるが、あれらは衰退と表裏一体になっている。あの番組で、廃校になった小学校がどれほど多く出てきたことか。もはや、田舎を維持することが無理になりつつあることは明白である。都会の人は、それでよい、リソースを都会に集中すればまだまだ日本は戦えると仰っているが、まあ事実はそうなのかも知れない。けれどもまたそれは、田舎のことを何もわかっていない発言であることもまた明白であろう。なお、自分が住んでいるところは田舎ではないので、結局わたしにもわかる筈がないのかも知れないが。わたしの住んでいるところは「郊外」に近くなってきており、人口も増えつつあるという例外的場所である。しかし、また都会ではないし、自分が育ってきたときは確かに田舎であった。いまも、住民たちは田舎者である。

けれども、もはや田舎の住人も田舎を疎ましく思うだけなのかも知れない。イオンは田舎における都会の植民地であるが、我々がいかにイオンを愛していることか! イオンがない田舎では、何とかイオンを作ってくれと企業に陳情まであるそうだ。女子高生たちは都会へ出たい。その気持ちはわからないでもない。まあしかし、いずれ田舎は滅びる。君たちの思いどおりの国になるだろう。

『禅海一瀾講話』を読む。体に染み込んでくるようだ。凡夫でもますます精進しようという気にならしめる。しかし、明治というのはまだ大きなところのある時代だったな。傑出した禅僧が少なからず出ている。現在の状況はわたしは何も知らないが、それでも人物皆無ではないことは知っている。他はどうなのだろう。しかし、玄侑さんとか安永祖堂老師みたいな人がそうそういるわけでもなさそうだが。新書とか書いているのはたぶんほぼ全滅。

Ruby をいじったり Go言語をもてあそんだりしていたのだが、面倒なので詳しくは書かない。まあ大したことではない。